ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 634:新たなる三竦み 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ29号) その1

NARUTO 634:新たなる三竦み 1

イメージ 1
 
《サイの傷を癒す蛞蝓》・・・
 
あまりにも“愛らしい”蛞蝓に、こちらまで癒されてしまった今週の1コマ。 
 
私はナメクジ類は大の苦手なのですが、蛞蝓は別(笑) 
本来、あまり「愛らしい」とはいえない動物(獣)と、人間が寄り添う姿・・そして「自然」に癒され支えられる人間の姿。 これは“これから先”を象徴するような画なんじゃないだろうか。
 
 
この前の、これみたいに・・・↓
 
イメージ 2
 
《九喇嘛(尾獣)とカカシ(人間)の握手》・・
 
 
 
・《新三忍と、口寄せ動物たち》
 
 
「行けアオダ!!」
「ジャンプだ ガマ吉!!」
「お願いします カツユ様」
 
あの大蛇の名前は「アオダ」・・アオダイショウのアオダなんでしょうが、この子は「サスケ様」と語りかける従順なヘビさん。気性の荒い初代マンダとはえらい違いですな(もっともヘビは、人間の扱い方次第で気性も変化するらしいですが)。 ちなみにアオダイショウは毒も持たず、この種の「白蛇」が俗に神の遣いとも呼ばれる白蛇なんだそうな(例によってウィキ知識)。 幼いオロちゃんが両親の墓前で見つけたのが、この種の蛇の抜け殻だったのですね(というか、オロちゃん自身が白蛇か)。 
 
ナルトはホントはブン太を呼び出したつもりでガマ吉は“代理”らしく「オヤジは今 手打ちのゴタゴタじゃけん」って言ってるけど、ブン太何やってんの?? 
 
「手打ち」ってことは《仲間内での仲直りとか、契約》だろうと思うんですが、仙里の動物たちの世界でも何かの異変、あるいは《1つにまとまろう》という動きでもあるんだろうか(大蝦蟇仙人なら、水晶玉越しに忍界の“ゴタゴタ”もお見通しだろうしなぁ)。 にしても、ブン太が「まだ」出てこない事には、何らかの意味がありそうじゃけん(笑)
 
それと、先週は思わず間違えちゃいましたが、ガマ吉・・大きくなりすぎでしょーよ!
 
「お前ら人間の成長が遅すぎ」って言いますけどな、イヤイヤ同じ蝦蟇でも、人間の里に居る普通の蝦蟇さんだったら、あんなスピードでは成長はしないと思いますぞ。 妙木山では、植物だって異常な大きさに成長しているし、蝦蟇達の凄まじい成長は《あの浄化された空気と豊かな自然エネルギーの賜物》なのだろうと思ってます。
 
あ!・・ってことは、あの可愛らしかったオタマジャクシのお玉ちゃんも、今頃はきっと・・・(嗚呼)
 
(ちなみにちょいと話がズレますが、「仙里」以外で動植物が巨大化していたのは、雲隠れの所有する海上の「島亀」と、カカシ外伝に登場する「草隠れの神無毘橋付近」。 あの辺りも“何らかの理由”で自然エネルギーが満ちていたと思われます。 神無毘は、その名の通り「神(十尾)の居場所」でもあったんじゃないかなぁ。 重吾の里も、皆背が高いのかな・・)
 
妙木山の蝦蟇達は、自然エネルギーとの共存・付き合い方の「達人たち」と言えましょう(正確には達蝦蟇かな)。  
 
《アオダとサスケ、ガマ吉とナルトの息があった「共闘」に、サクラと蛞蝓の「治癒、回復」・・》 
 
すっかり彼らとうまくやってる「新三忍」を見てると、ヒルゼンやシズネじゃないけど「ホントにもう・・!」って嬉しい気分になります(笑) そして彼らを見ていると、本来の「人間と自然エネルギーの関わり方」にも見えてくるのです。
自然エネルギーとは、人間が生きるために「在ってくれるもの」であり、人間を「助け癒してくれるもの」でもある・・だけどその「有難さ」に気付くことは、なかなか無い。
 
でも、あの「蛞蝓」を見たら、やっぱり初めは誰でも「気持ち悪い」と思うだろうな・・(ゴメン、蛞蝓様)。 
だから、「うわっ!な…何だ!?」って忍達の反応はゴモットモでして、シズネの「大丈夫、このナメクジは五代目火影の回復術です」という説明が無かったら、見た目は「十尾の分裂体」とか「白ゼツ軍団」と大差ないから、“敵”と間違って攻撃しちゃうかもしれない。
 
《力が… 戻ってくる・・》 (そこらへんの雲の忍)
 
半信半疑で体に這わせてみれば、蛞蝓は傷を癒し、回復してくれる…それで忍達はナメクジが害が無く、そして、いい奴なんだ・・と《やっと》認識することが出来る。 いかに、人間が《知らないモノを警戒し、見た目で判断するか》のいい例といいますか、今回もまた、「例のイタチの言葉」を思い知らされるのです。。
 
そして、ここで忍達に協力してくれている《蛞蝓、蝦蟇、蛇》の皆様ってのは、揃いも揃って「醜い種」として認識されてる動物たち(ゴメン、蛞蝓たち)。 人間達が偏見を持っている「見た目的にはちょっとナンな彼ら」が仙里を守る動物として選ばれた事にも意味があったのではないか・・と自分は考えているのですが、これは以前の雑考《六道仙人と美しくない種》を参考にして頂ければ・・・。

人間とは、「己の目で見て、直接聞いたモノ」以外は感じたり信じることができないし、愛情には鈍感で・・「危険」と察するモノに対してはやたらと敏感だという話を以前させて頂きましたが(過去記事※)、人間ってのは実際に感じないと有難さを分からない鈍い生き物なんですな・・。
だから、仙里の動物たちのように敏感に「自然エネルギーの有難さ」を分かるわけでもないし、感謝するわけでも無いし、上手に共存できているわけでもない。 
だから、今のところ忍連合の前では実体化していない「九喇嘛」のことも忍達は認識できず、チャクラをくれた九喇嘛にも全然感謝していない・・・この現実が残念なのです。 
 
(今週は過去記事引っ張りが多めになっててウザし!と思われるかもしれませんが、コピペ転載等の対策の為なんです、どうかご了承を)。
 
忍達に協力的な《仙里の口寄せ動物》とは、人間が自然エネルギーとの共存を理解するために・・そしていずれ『尾獣と人間』が理解し合うために、それらを「つなぐ役割」を託された存在ではないかと思ってしまうんです。 ガマ吉やアオダ、蝦蟇ブン太など・・忍達は彼らをちゃんと「個々の名前」で呼んできたわけですが、尾獣については「ほんの数時間前、名前を知ったばかり」なんですよね(ナルトが九喇嘛の名前を知ったのって、まだ数時間前)。
「尾獣と人間」、「自然と人間」が分かり合うためには、まだまだ・・・だけど、そろそろいい加減“暁”の刻は近づいちゃってるんじゃないだろうか(と焦ってしまうんだけど)。それまでに、忍達は何らかの答えを出せるんだろうか。
 
 
・《火と風の共闘》
 
 
《オレってばサスケとの相性良かったんだな・・》

《ああ・・“雷”に勝てるのは“風”だけだ》

《イヤ・・そっちじゃなくて・・》
《“火”を助けて大きな力に出来るのは“風”の力だけだってことだよ》
 
この前の加具土命と螺旋手裏剣の「共闘」でも「火と風の共闘」はありましたが、今度はナルト自身も例の「ヤマトとの会話」を思い出しながらの共闘になりましたか・・ついに!
 
 
《風遁・超大玉螺旋手裏剣》×《炎遁・須佐能乎加具土命》
 
 
投じられた螺旋手裏剣に加具土命の矢を刺し、それが十尾本体に見事直撃する・・

ナルトとサスケの「共闘」に、いつのまにか同期達も心から「応援」してるのは・・「十尾を倒す」目的の為というよりは、純粋に「仲間が帰ってきた」ことが嬉しいからじゃないだろうか。
 
「名付けて灼遁・光輪疾風漆黒矢零式」(ミナト)って・・・それ、中・・・イヤ、無いな!(笑)
 
ミナトの命名はさておき、次の扉間のセリフが気になるじゃないですか・・
 
《あれほどの加具土命を見た覚えがない》 (扉間)
 
「あれほど」って・・つまりサスケ以前、扉間時代にも「加具土命ユーザー」が居たんですね。 
てっきり加具土命はサスケが「適当に」命名したのかと思ってました(笑)  
 
とはいえ「最初に万華鏡を開眼したのがマダラ・イズナ兄弟」だったので、天照および加具土命を使ったのはマダラ・イズナを含め「それ以降、扉間存命中」のうちは一族ってことになります。 つまり、マダラとほぼ同世代のうちは一族ってことになりますね。
 
「神威」についても、カカシが本来神威を止められるなんて聞いたこともないという表現をした事から、「カカシ(オビト)以前に神威ユーザーがいた」ことが伝わってきたのですが(詳細は過去記事)、ここで加具土命ユーザー「も」過去に居たという描写が「わざわざ」されたのは、何故なんだろう? (気になりますね、コレ)。
 
そしてこれは、こういう意味でもあると思うんです、
 
カカシとオビトなら「神威を止められる」、
そしてサスケなら「加具土命を止められる(つまり「天照」を止められる)」。
 
同じ瞳術を持つ「眼」だけが、その術を止められる。 彼らがそれらを「止める」必要、事態が出てくるの「かも」しれません・・「止める」為の共闘ってのもありかな。
 
扉間の言葉から、さらにもう一発・・
 
《まったく同じチャクラ比で術を合わせたか…》
 
同じ術を見ても、火影達で反応はそれぞれでして・・ヒルゼンは元祖三忍を思いながら『新しい時代』と思ってるだろうし、ミナトは術名を付けて楽しんでいるし?ハッシ-は描かれてませんが・・・あれっ、そういえば柱間の「本体」は、マダラの「ハッシ-本体じゃなきゃイヤ発言」以降登場してませんが、マダラのところに行ってくれたのだろうか。マダラは柱間に「大事な話」があるんだろうと思ってるので、コレも気になっておるのですが。
 
しかしここでも扉間は「インテリらしい」分析発言が飛び出しましたが・・
 
《同じ力で合わせるのがコツ》という話は、伏線臭プンプンな感じで過去に登場してますが(過去記事 )、2つの性質変化を合わせる時にも「同じ比率」ってのがコツなのでしょう。 血継限界を持つ忍は自然とそれを行っているのかもしれませんが、「共闘」の場合は相当息があった親友じゃないと難しいんでしょうね・・コレ(ナルトとサスケ、「時間の溝」は感じないですね)。
でも血継限界じゃなくっても「2人」で共闘すれば血継限界の術は使えるし、3人合わせれば「血継淘汰」の術だって可能になる・・さらにはもっと数種混ぜも。
 
「風×火」は「灼遁」だとミナトが言っていますが、灼遁といえば55巻で登場した砂隠れ(風の忍)のパクラがいますよね(灼遁・過蒸殺)、彼女の場合は「彼女個人の性質変化である火」と、「里の得意術である風」を合わせた血継限界使い。
 
ならば「磁遁」は、風の忍(歴代風影)と雷の忍(トロイ)が使いますから、「風×雷」であることは間違いないでしょう。 
 
つまり・・・ナルトとサスケの「共闘技」は、
 
「風×火」の“灼遁”と、「風×雷」の“磁遁”も可能ってことです。
 
「磁遁」が飛雷神の術との関わりが高そうだという話別記の通りですが、ますますこれでナルトとサスケの「螺旋丸と千鳥」共闘が楽しみになってまいりましたぞ・・
 
(って、あるよねきっと!)
 

(その2は、午前中か昼ごろにupすると思います・・)