ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 638:十尾の人柱力・オビト 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ33号) その1

NARUTO 638:十尾の人柱力・オビト (1)

 
厳しい暑さが続いておりますが、皆さん元気ですか?さてNARUTOはアニメのほうも(一部地域では)ついに来週はマダラが登場するらしいですし、原作のほうはなんだか「凄まじい展開」になってきましたね・・体力より思考がついていくのが大変そうです(苦笑)
 
イメージ 1
 
さてさて、上の絵は《十尾の人柱力・オビト》背中の模写ですが…これが、あの「オビト」??
 
これは「背中」ですけど、表情はもう「オビト」じゃあないんですよね・・・オビトだけど、オビトじゃない。カカシ外伝や最近の回想に登場する、泣き虫で、素顔はどっちかというと「ぽわ~ん」としたおっとり顔の、あの落ちこぼれ「オビト」なのか?と思えるぐらいの変化… いや、外見上はたしかに「オビト」なのですが、そこにはもう、あの「うちはオビト」という人格は無いようにさえ思える… 
 
しかし、カカシ外伝に「オビト」が登場した時、ここまでの「存在感」になるとは殆どの方は思われなかったんじゃないだろうか(私もですが)。  
 
私が「オビト」という存在に関心を強くもっているのは、キャラクター的に好きだということもありますが、何よりもNARUTOという作品に於いて特異なポジションにあるからです。 
たかが「外伝」だけの登場人物に見せかけつつ、実は第2巻早々からその存在が明かされ、「カカシ」を通してずーっと存在し、「事実上の第二部」である(と当ブログでは解釈している)カカシ外伝の主人公であり、ナルトの人生を変えた「九尾事件」と、サスケの人生を変えた「うちは事件」の両方に関わり、NARUTOの物語を裏からずっと「押し続け動かし続けていた人物」でもあります。 
ナルトの(敵と言えるような敵としては)おそらくは最後の敵であり、先生の親友、父ちゃんの弟子であり…という「遠くに、かつ近くに」の関係で在り続け…
 
「オビト」を知ることが、物語の謎を「解く」事にもつながる・・・その「不思議な存在感」が、この作品をさらに活き活きと面白くしているのは間違いないと感じております。
 
さて…先週のタイトル《十尾の人柱力》に、今週はわざわざ《オビト》が加えられておりますが。
 
これ…1つには、結果的に十尾の人柱力レースで《オビトがマダラに競り勝った》という意味もあるでしょうか。 オビトの執念、いや「意志の強さ」がマダラの意志に勝ったのだと思いますが、オビトをそこまで奮い立たせたのは紛れもなく、あの「ミナト先生の言葉」だったわけです。 オビトにとって「ミナト」は今でも「ミナト先生」、オビトを理解し誰よりも「認めてくれた」ミナト先生の言葉は今でもオビトを支えている…
 
今までオビトがやってきた事は、傍から見れば「とんでもない事」ばかりだし(「悪さもやったし」と言えるレベルじゃない)、今後何があろうと“差し引きイーブン”にはならないのかもしれない。 今度の「十尾の人柱力」だって・・まるで「オレはもう強いんだ!」と力を誇示し、身勝手な「夢」の為に暴れているだけにも受け取れますが、オビトの長い時間をかけた行動が、ミナト先生の「お前もこのままじゃないハズだよね 諦めるな」の言葉を「曲解」した結果とは思い難いんですよね… 
 
そして、今週のタイトルに“オビト”と名前が加えられたもう1つの理由、それは“オビト”の「名前の強調」にも思えるのです。

名前の強調・・・

今週は「人柱力になってしまったオビト」の圧倒的な力と外見の「変化」も衝撃でしたが、何といっても一番の衝撃は、オビト自身が「オビト」としての記憶、あるいはオビトという「名前」を覚えていない(らしい)事でした。 オビトは…約束通り(?)十尾に体を渡してしまったら、もはや「うちはオビト」ではなくなってしまう事(事実上、うちはオビトは存在しなくなる事)は承知の上だったのかもしれません。 
 
だからなのかなぁ・・・第628話で、オビトは「最後に」ナルトのところにやってきて、最終的に「ナルトの意志の強さを確認するような事」をしてましたよね。 ひと通りナルトの「言葉」を聞いたうえ、険しい顔をしながらも「・・・・」とナルトの言葉を心に刻むようにして去っていった… あれは、これから起こる事に「ナルトが立ち向かえるか」最終確認だったような気がするんです。
そして「人柱力になる前の一番最後の時」にカカシと闘ったのは、「うちはオビト」としての人生最後の最後に、もう一度だけ真剣にカカシと「ライバル勝負」をしたかったという「最後の願い」も純粋にあったのだと思います。 オビトの人生とは、カカシを追いかけてきた人生でもありましたから…
 
カカシとの「勝負」の前に、一瞬の間があって「背中」だけがオビトの本心を静かに語っていましたが、あの時…「うちはオビト」として最後に胸に去来したモノは何だったのか。 今思うと、あの背中はさらにやるせない・・・そして、切ない。 
 
それでも「うちはオビト」の名前は、オビトがオビトであるために、絶対に「無くしてはならない」モノのハズなんです。かつてはその名は、オビトにとって「誇り」でもあった…それを引き換えにしてでも、オビトには「成し遂げねばならない」何かがあるハズなんです。 ミナト先生にかつて「自制心を口にするなら心も強くもたないと」と言われ、固く決意している「譲れない何か」が。
 
もはや「オビト」自身の口から語られないのだとしたら、オビトの本心を唯一「証明する」ものは、結局最後まで彼が大切に背負っていた「例のモノ」ではないかと思うのですが…今はどこに行ってしまったのだろう。 (「名前」については、後半で再び・・・)。
 
 
ヒナタやヒアシ、白眼の忍には《オビトの中にズズズっと(まるで神威みたいに)吸い込まれるように十尾が取り込まれていった》経緯が見えていたようですが、ほぼ一瞬で他の忍達には「何が何やら」。
 
オビトの「人柱力姿」…髪は白髪になったままで、どこか白ゼツみたいにも見える…
 
下半身は服を着てるってことは、白ゼツとは構造上違いがあるのかもしれませんが(ゴラッ)、右半身の元々「柱間細胞」だった部分は外道魔像の肌みたいになっていますよね。 外道魔像ってのは元々「十尾の抜け殻」だし、つまりは「六道仙人の人柱力時代の姿」って事だと思うのですが、ネオ・オビトの右半身だけ「外道魔像化」したってことは「柱間の細胞は六道仙人の細胞と同質のもの」と言えそうです。背中には十本の尾を示すような角?が生え、そして六道仙人と同じような《眼と獣》を示すような紋様が浮き出ている…事実上の《六道仙人状態》ですね。 
 
 
「!!」 《ゾクッ》
(な…何だ コレは?) (「オビト」にゾクッとする扉間)
 
感知系の忍ってのは、いわゆる「霊感強い人」みたいなモノじゃないかと…見たくもないのに幽霊見えちゃうみたいに、感じたくもないのに「やたら感じちゃって疲れる」事もありそうで、何かと苦労も多く心配性な人が多そうなイメージがあります(よく雲隠れの感知系シーが「ハァ」と深くため息ついている画を見るような気がしますが・・ってあれは「違う理由」かぁ)。  
柱間兄者の「荒立てたチャクラ」に毎回《ゾクッ》として固まる扉間を見ていると、キバが嗅覚鋭すぎてナルトの「屁攻撃」で戦闘不能になっちゃったのを思い出しちゃいます。 そして《ゾクッ》といえば、最近ではパワーアップサクラちゃんが「しゃーんなろー」をする直前にも、ナルトが思わず《ゾクッ》と感じていましたけど(アレは「恐怖」を感知するほどのモノだったって事なのでしょうか)、なので《ゾクッ=悪いモノ》とは限らないけど…そして仲間のチャクラなら「禍々しくない」とも言い切れないということでしょうか。
 
しかし扉間がネオ・オビトに感じた《ゾクッ》は、おそらく扉間が今まで感じたことが無いような異質なもの、あの黒棒が送受信するようなチャクラと同質のものだったのでしょうか。 
その「禍々しさ」は、かつて九喇嘛がサスケに感じた「ワシ以上に禍々しい、かつてのマダラと同じチャクラ」と同じではないかと思うのですが、それらが「十尾由来のもの」だとしたら…サスケがと「十尾をさっさと片付ける」事にこだわっている(ようにみえる)事と関連してるんじゃないかと思えてしまうんです。
 
637話最後に、十尾の意識と思われるモノがサスケに言った《裏切り者の同胞》という言葉も、「うちはと十尾」の関わりを暗示するものだとしたら、サスケは「石碑」を読んで何かを感じ取ったのではない野か…「うちは一族の生き残り」として、全ての問題の根源である十尾を「早く始末してしまいたい」思いが強いんじゃないだろうか(「石碑」の内容が読者にまだ明かされ無いのも、理由がありそうな)。
 
人柱力オビトの目にはうっすらと隈取りが出来ていますが、これは元々十尾にもあった隈取を反映したモノなのか、「自然エネルギーを取り込んだせい」なのか…でも、その目が見つめる先は「どこを見ているのか分からないような」空虚な哀しい目なんですね。 昔、ナルトがサスケと「組手」をした時にサスケの眼に感じたような、茫漠とした目…どことなく「生気」を感じられない目。 深い深い孤独から生まれて恐怖で戸惑っているような目…
 
(サスケ) 「人柱力だと?」
 
(ナルト) 「ますます気味悪りーってばよ」
 
(ミナト) 「オビト…」
 
(サスケ) 「ナルト… なぜ分かる!?」
 
(ナルト) 「オレは尾獣達と仲良くなった!そん時あいつらからチャクラもらってっからハッキリ分かる!!」 
 
「尾獣達のチャクラが次々オビトの中へ入ってったのを感じられたし…」
 
「それにオレってば六道の生き返りの術を一回見てる!」
「そもそも術の印が違う!!」
 
「とにかくあいつは初めっから人柱力になる術をしてたんだよ!」
 
(サスケ) 「…そうか…」
 
 
しかし、ナルトが「印」までちゃんと見て覚えていたのは「意外」というより「さすが」というべきでしょうか。ナルトの「抜群の記憶力」には時々驚かされる事があります…だから突然「過去の何かを参考にして」アイディアを閃いたり出来るのでしょうか、サスケとはまた違ったタイプの実は「天才肌」なんですよね、ナルトも。
 
しかしオビトが組んでいた「印」(「未」の印の左右逆バージョンと言いましょうか)、先週の雑考で「アレは確かに輪廻天生の印だしィ」と書いちゃってお叱りも受けたんですけど、マダラさん並みに言い訳しますと「長門はあの印を“輪廻天生”って言って組んでたじゃないかぁぁ!」と(笑)  448話最後の絵と、449話最初の絵… 「外道・輪廻天生の術」と言って長門が最初に組んでいる印は、今回オビトがずっと組んでいた印と全く「同じ」です(汗っ)。 ただ、長門はその次に「巳」の印に移ってる(今回ナルトが輪廻天生の印だと言っているのは「巳の印」)、つまり「輪廻天生」の印と「十尾の人柱力になる印」は途中まで一緒、だからマダラさんも実際に途中までは復活しかかったのでしょうが、肝心の「フィニッシュ(巳の印)」に到達できず終わった…ということでしたか(ややこし)。
 
しかし、ナルトの「分かりやすい、簡潔な根拠説明」… この戦場に来たばっかりの頃には「あ!あいつ!写輪眼と輪廻眼が繋がってて左目と右目と!左の胸に杭が刺さっててえっと…えっと!」と支離滅裂にしか言えなかったというのに、あのサスケをすんなりと「そうか」と納得させてしまったのだから「お見事」としかいいようがない・・(サスケもナルトに「納得させられる」とは、意外だったんじゃないかな)。
 
そして、前回の637話で、ナルトが「アレは…!?」“何か”を感じている画がありましたけど、アレは『尾獣達のチャクラがオビトに入っていく』のを感じての反応だったのかもしれません。 その直後、サスケがオビト目指して突進していくのを、ナルトが「ちょっ…サスケェ!!」と止めていたのも「尾獣」を心配しての事だったんですね(おそらく)。 オビトを心配して・・ではなかったか。
 

そして、この会話中で「一番気になった部分」については・・・それは後半のほうで(続けます・・)。