ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 649:忍の意志 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ45号) その2

NARUTO 649:忍の意志 その2

 
(その1の続きです)
 
第一部最後のセリフの「括り」が各キャラによって語られ始めているということは「そろそろNARUTOも終わりか!」と実感してしまい、何とも言えない寂しさも感じます。でもまだ回収されてない話も多いし(うちは事件の真相とか、九尾事件が「いわば天災」である理由とか、オビトとマダラの語られていない真実とか)、さらにサスケの事、尾獣達の事、十尾(神)との向き合いという「本当のクライマックス」はこれからだと思うんですが、今…その本当のクライマックス戦を前にして「全員の総準備」と言ったところでしょうか。
 
ガイ先生の「青春」はずっと気になっていたんですが、第一部最後の言葉「そろそろ青春も無理な齢かな…」に対する答え、「オレの青春はまだ色あせちゃいないぞ!!」がついに出ましたね。このセリフも「マイト・ガイの総仕上げ」に向けての言葉かと思うと、ちょっとだけ寂しい。
あと今週は登場していませんが「大蛇丸」第一部最後の言葉は「ああ…私の未来はこの子(サスケ)の中に在る」だったんですよね。当時の大蛇丸の願望とは違う形にはなってるけど、でもこの言葉も「実現」してますよね。大蛇丸の未来も希望も「サスケの中」に在る・・・
 
そして我愛羅も・・・
 
《…ナルト お前は今まさに…この世に必要とされる存在になった》
《オレ達のなりたかったモノだ そしてこのままこの世を救うぞ ナルト!!》
 
かつて我愛羅は「オレは何のために存在し生きているのか? そう考えた時答えは見付からなかった」と言っていたけれど(97話で)、その後「オレもいつか誰もに必要とされる存在になりたい…恐るべき兵器としてではなく…砂隠れの風影として」と語り(28巻249話カンクロウの回想)、ナルトより一足早く「里の皆に必要とされる存在」として認められた・・
 
我愛羅が望んでいた《恐るべき兵器としてではなく、誰もに必要とされる存在となりたい》という願い…これは全ての忍達の想いでもあり、尾獣達の気持ちでもあり、そして十尾(神樹)の気持ちでもあるんじゃないだろうか?「必要とされる存在」、つまり「一緒に居たい、隣に居たいと思わされる存在」、そして助け合い、感謝し合う存在。
 
神樹は、人間に貸し与えた力(チャクラ)を「人間と共存できる力」、皆に必要とされる力、《仲間を守るための力》として、平和利用してもらうことを望んでいたんじゃないかと思うんですよね。 なのに人間はその力を「恐るべき兵器」として使い始めた上、その力の源である十尾を「恐るべき存在」あるいは「必要としない存在」として、封印してしまったのかもしれない。その時の十尾の裏切られた気持ち、絶望、孤独は如何ばかりだっただろう…?  昔の雑考で、「トビには裏切られトラウマを感じる」と書いてきたのですが、その「心の傷」は「十尾」のものでもあったのかもしれません・・
 
十尾は本当は…「必要とされる存在」でありたかったのではないか。人間と共に在り、人間を助け、人間に感謝される存在でありたかったんじゃないだろうか。 《ナルトありがとう…! アンタのチャクラで…アンタの想いの力で助かった!》とサクラはナルトに感謝していたけれど、その「ナルトのチャクラ」は尾獣(九喇嘛)のものでもあるし、元はと言えば十尾のモノ。でも今のところ、まだ忍達はそれは感じていない…。 
603話で白ゼツが言っていた「そのおかげで君も飲まず食わずで生きてられるんだよ 逆にありがとうって感謝してほしいくらいだよという言葉が、妙に心にひっかかっております。
 
人間は自然の力やチャクラのおかげで「生きていられる」。なのにその源に感謝もしない…。「誰でも無い、誰でもいたくない」と十尾が嘆くのは当然なのかもしれません。
 
「たとえどれほど大きな大樹だろうと この大地に比べれば小さなものじゃぜ!」 「大地こそワシらの味方じゃ!!」 (オオノキ)
 
…ってオオノキは言ってるけど、「大地」は本当に忍達の味方なんだろうか? 
 
56巻で黒ゼツが「全テノ地ハオレソノモノダ」と言っていたのが気になっています。黒ゼツとは「マダラの意志」という説明がありましたが、あの黒ゼツの発言は「神(大地の神)」の台詞に聞こえるんです(なにせ「全テノ地ハ・・」ですから)。 「神樹は大地に比べたら小さなもの」というオオノキの言葉の通り、「大地」が大いなる“父なる神”なのだとしたら、「神樹」はその“子供”のような存在ではないだろうか(とも思える)。
 
私は「グルグル」とは十尾の意志じゃないかと考えているのですが、もしそうだとしたら十尾(グルグル)は神の子供のような存在「いい子」であって(そしてオビトと共鳴している)、一方で「大地」の意志は「黒ゼツ」にも在るような「人間を信じない」気難しい相手なんじゃないだろうか・・なんて思えてくる(オビトは黒ゼツを意図的に遠ざけていたように見えるんですよね)。
 
 
・・・さて再会した「爺と孫」の会話ですが。
 
「綱よ謝るな」
「孫の代まで問題を抱え込ませた ふがい無いのはこのオレぞ」 (柱間)
 
 「おじい様の想いと夢も孫の代…それよりも未来(さき)に受け継がれてる…そう…火の意志ってやつだ」 (綱手
 
困ったような顔を見せる柱間…初代火影ともあろう人が、孫の前で自分の事を「不甲斐無い」なんて言えてしまう。 そんな事が言えるのも、土下座ができてしまうのも、真の大物だからこそ…小物に限って体裁やら「力」を振りかざすことにこだわるんじゃないだろうか。 柱間の「なぜだか」皆に好かれ頼られる力とか、ナルトの「不思議な」力というのも、「心」を揺さぶる「想いを伝える力」・・・
忍の本当の強さってのは「心を動かす力」だという事を、そろそろ皆が実感してきてるでしょうか。「忍」という文字で大切なのは、しっかり下を支える「心」だってことに。
 
「火影になる者は土下座が好きなようだが… アレも…想いを伝える行動であり力になりえるのかもしれんな…」 (雷影エー)
 
ナルトが嘆願した時、「忍が尊重するものは行動と力だ!」と諭したエーは《力こそすべて》を絵にしたような“肉体美”の持ち主でもありますが、前にビーが「ブラザーの言葉がオレの心の穴を埋めてくれた」と言ってたし、ダルイもエーの言葉(お前が2本目の右腕)で気持ちが救われた事があったんですよね。 エー自身の本当の力も「マッチョな肉体」ではなく、ブラザーや部下を想う「心」、想いを伝える力だったり、戦いながら度々綱手を気遣ったりしていた「優しさ」だってこと、本人は気づいているだろうか…?
 
《お前の過去が…皆を通して入ってくる…》
うずまきナルト…今…お前が皆を一つにしている お前のその波乱に満ちた人生が今のお前を作り…お前のその生き様が皆の胸に希望(さき)をあたえたのだ》 (柱間)
 
「人柱力」ナルトや我愛羅の生き様は「極端な例」でもあるけれど、だからといって「特別」でもない(と思う)。
今までの忍世界では「忍」とは己の存在価値を求めちゃいけないモノだったし、《心を刃で殺し》国の道具として存在する事が大切だった訳で(第4巻のカカシや白の言葉より)、どの忍達にとっても「ナルトの苦しみ」は共通して「理解できる」ものだと思うのです。
 
ナルトの「過去(今までの道)」を知って皆が心を一つにしたのは、彼らも同じような悲しみや絶望、後悔、孤独を「知らず知らずのうちに」感じてきたから・・・
開戦の時、我愛羅は演説で「同じ痛みを理解しあった者同士にわだかまりはない 今ここに敵はいない、皆“暁”に傷付けられた痛みを持っている」と言っていましたが、今では「皆、同じように今までの忍の無秩序(システム)に傷付けられた痛みを持っている」ことを忍達は理解しあってると思います。
 
 
「希望(さき)を追うーー行くぞ!!」 (柱間)
 
 
忍連合は総結集で神樹を切り倒そうとしてますが、次号「ナルトとサスケがついにオビトを…!?」と書いてあるのが気になって仕方ない・・・そろそろオビト戦は決着でしょうか。
 
オビトが「運命に選ばれた2人」と言っていたナルトとサスケ、「火の意志を持つ者」ナルトと「火を操る者」のサスケがオビトにどういう「答え」を示すのか。 
今回オビトは「最終確認」をしていたし、ナルト達の出した答えにそろそろ「合格」を出して、昔みたいな屈託のない笑顔を少しでも見せてくれたらいいのになぁ・・なんて思っているのですが(戦争を起こした罪はチャラにできないと本人も承知でしょうけれど)。でもこの戦争が無かったら・・忍達は「相変わらず」、五大国もバラバラで忍も尾獣達も「兵器のまま」だったのも事実です。
 
やっとここで「時空間でお腹を縫ってた」カカシが登場しましたが(九喇嘛チャクラは時空間には届かないんですね。冷静にケガも縫ってしまう器用さやら知識、対応力は地味だけどカカシの安定した強さの理由でもあると思うけど)、この「応急処置セット」はあの「リン」のプレゼントじゃあるまいな・・。 しかし、やっとカカシも復帰しそうなので“今度こそ”カカシが「真価」を発揮できる場面が来るんじゃないかと思っています。
 
オビトの「たった一人で抱えてきた過去」を知ってあげられるのも、「オビトに孤独な思いをもうさせたくない」と思ってやれるのも「カカシしかいない」と思うので、シカマルのように…是非とも「頭」だけじゃなく「心」もフルパワー稼働してオビトの「本当の気持ち」を知って理解してやって欲しいし、そして忍達とオビトを「つないで」やって欲しい(それでこそ「さすがカカシの理解力」と言えるんじゃないかと)。さらに時空間と十尾の関係を分析出来るのも「神威」を共有するカカシならではと考えてたんですが(汗)・・・そろそろ本当の「出番」ですよ、カカシ先生。
 
ちなみにカカシ第一部最後の言葉は(何度も言ってるけど)「この目があってもちっとも先なんて見えやしない」「お前が生きていたら…今のオレに何て言うんだろうな なぁオビトよ」・・だけどこの言葉の締めは「まだ」ですから、カカシとオビトの感動と涙の話は「これから」のハズ。
 
トビ(オビト)の「本心」はどこにあるのだろう?というのが、私にとってNARUTO考察上の「最大の疑問の1つ」でもあり、過去数年間こだわり続けてきた点でもあります(色々とご批判も多く頂戴してまいりましたが)。勿論、そのままストレートにオビトは「この世に絶望して逃げたいだけ」なのかもしれませんが・・・トビ(オビト)のちょっとした言動や表情に時折垣間見られる優しさ、温かさがどーしても「見逃せない」ものに思え、私の口癖で言うならば「岸本先生は無意味な描写は無さらない方での」・・といったところなのです。その答えは近いうちにも出そうですが、もし例によって「考えすぎ」だったら、その時は土下座して「すみません!」ってことで。
ただ、私にはオビトという「人助けの為なら何でもしちゃう」うちは版ナルトみたいな人物が、そんな「クズ」になったとは思えないのです。
 
 
ナルトが「無意識」に行っている「仲間を大切にすること」・・・
 
 
ナルトがこれを無意識に行っているのも、「忍」になった最初の日にカカシがナルト達に教えてくれた《仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ》という言葉を ナルトがずーっと大切にしてきたからだと思うんです。 是非、オビトの口からもナルトにこの言葉を伝えてやってほしい… 
 
物語は少しずつ最初のほう、第1巻に向けて「戻りつつある」と申してまいりましたが、ナルト達も「忍になった最初の日」あの日の「原点」に戻りつつあると思っています。 あの日、カカシが語った「英雄」の事がナルトに伝わった時・・・本当の意味でオビトとの闘いは終結するのではないか・・と。
 
 
 
 
気になる次号は、連休の為12日(土曜日)発売です!
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって、感謝…
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/10/07)