ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 650:眠るのは 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ46号)その2

NARUTO 650:眠るのは その2

 
(その1の続きです)
 
 さて、超瞬身のオビトをナルトは「感知」で追い、サスケは「眼」で追いますが…サスケの眼、何だか少しずつ模様がシンプル化しているのは(中の線まで描かれてない)、理由があってのことなのか、それとも単純に「略している」だけなのか…これ判断に迷います(笑)
しかし、以前は雷影の瞬身でさえ眼で追えなかったのだから、今では「六道仙人オビト」を追える程、サスケの万華鏡写輪眼は既に瞳力を「極めた」ということになる…
  
「そろそろ眠る時間だ 夢の中へ連れていく…時間はもう無い…」
 
《仙人の術で仙人はやれる》ハズだけど、ナルトとサスケ「陽と陰」別々で攻撃したんじゃ「陰陽遁」は打ち破れないってことでしょうか。2人別々の拳は、オビトの黒いチャクラの盾で弾かれる…
 
“約束の時間”まで、あと少し。
 
《白っぽい背景に、ズオオオ・・とオビトを中心にして左右に伸びていく凸凹のある黒いチャクラがナルトとサスケを掴んだ絵》と、その次のコマ、
《暗い背景に、カカシを中心にして左右に並ぶ白っぽい箱が凸凹と並んだ絵》の「対比」、コントラストが実に見事! 
 
この対比は、「こっち」の世界のオビトと「向こう」の世界のカカシ…この2人もまた「対の存在」なんだという事を示しているんですよね(と思う)。
ナルトとサスケも「対」、柱間とマダラも「対」、そしてカカシとオビトも「対」。
 
親友がのちに宿敵となった、この3組。 第一部では「ナルトとサスケ」の出会いと別れ、事実上の第二部(外伝)では「カカシとオビト」の出会いと別れ、第二部(というか事実上の第三部)では「柱間とマダラ」の出会いと別れが描かれておりますが、最終的にはこの3組とも「補い合う、互いに無くてはならない存在」として和解の印を結んでくれると思っています・・・というか、そうでなくちゃ「NARUTO」じゃないでしょ(と、私は思う)。
 
66巻で遂に《時空間内での対決》をし、オビトを「ころす」しかないと決意したカカシ…私はあの時かなり「ゴラぁぁあ」みたいなカカシを叱ることを書いてしまいましたが(カカシのファンの方々には申し訳なかったけど)、でもそれは「カカシはこれで終わらないハズ」だと期待していたからなのです。で…やっぱり「それで終わりのハズはなかった」。ちゃんとカカシは、オビトのことを想っていた。
 
オビトの「心」を「心」で感じ、心で考えていてくれた。
 
カカシはオビトがまだ外の世界で戦っている事を感じ取っている様子ですが、リンクした写輪眼でその景色が見えている…とは限らないし、カカシははじめから分かっていたのでしょうか《あの程度ではオビトはおそらく死なないであろう》ということを。柱間細胞を持ち螺旋丸攻撃でさえ自動回復し、十尾とも共鳴しているオビトが、あの程度では「死なない」という事を…。
 
だとしたら、カカシは《今のオレに出来ることは今のオビトを殺すこと》と決意しながらも、カカシは《オビトを殺せなかった》・・・いや《殺さなかった》と言った方がいいでしょうか。それはカカシの心にまだ「後ろめたさによる迷いがある」からではなく、「オビトとのつながりを信じるブレない心」がシッカリとあるからじゃないかと思うんです。ナルトと同じで、「友とのつながりを信じる気持ち」そして「本当の友の姿を信じる気持ち」がブレてない証拠じゃないだろうか。
 
《人は変わる…でも変わらないモノもある》《つながり…それを確かめたいんだ》
・・・カカシもそうなのかもしれない。
 
 
《オビト…やはりお前は確かめたかったんだろう…》
 
《何があろうと決して折れない心と 変わらない火の意志…》
《それが本当にありえるのかを!》
 
《一度捨てたはずだった…》
《だがナルトと戦いナルトの言葉を聞いて 
一度否定したはずのそれがあるかもしれないと
心の奥で否定しきれなくなったんだろう…オビトよ》
 
《そして何度確かめてみても探してみても そんなものは無いとも思っている》 
 
《その狭間で今も…》
 
《……お前はナルトに…》
 
《その答えを見ようとしている》
 
 
やっぱり、あの時(628話)カカシがオビト…お前はナルトで何を確かめてる…?》と見上げていたのは、カカシの心に「何か」が引っ掛かったからなのでしょう。そして、オビトがやっている事は『確認』なのだと…ナルトにしつこく問い続け、執拗に答えを求めているのは「変わらない心」があるのかどうかという確認、それをナルトに「期待し」答えを求めているのだと…カカシも気づいてくれていた。
 
カカシがオビトを「殺す」と決意したのは、そうする事が「ナルトを守る」ことでもあり、連合の部隊長としての「役目を果たす」意味もやはりあったと思う。 
でも、それでも「殺しきれなかった」のは、オビトの「心」を感じて迷ったからじゃないだろうか(ギリギリまで、カカシは散々迷っていたし)。
カカシ自身はそれを自分の弱さからくる「ブレ」だと思っているかもしれないけれど、それは「ブレ」とは言わないと思う・・・その「ためらい」、その「迷い」は友を信じる《ブレない心》のせいなのだと・・私は思うんです。
 
ただ、今までカカシは忍世界を守るため、ナルトを守るため、オビトの心に『引っ掛かり』を感じてはいても、それを考える時間も余裕も無かった。 だからこうやって一人で時空間に取り残され、やっとオビトの気持ちを考えることが出来たんじゃないのかな…。
 
外の世界では「神樹を切り倒しオビトを倒し止める事」だけで皆が精いっぱいで、あのナルトやミナトでさえ「オビトの心」を想う余裕なんかない。 誰一人、オビト(敵)の心を考える人なんて居ない中で、カカシだけがオビトの心を想ってる。
オビトを「理解しようとしてくれている」…それも「本当の意味での」(心での)理解で。
 
ようやく、567話(60巻)で立っていた「カカシの理解力フラグ」が回収され始めてきたかな…。
 
一時は「世界を敵に回した」サスケを、その状況の中でもただ一人「サスケを信じ、サスケを理解しようとした」のはナルトだったし… 
おそらくこの戦場で最初にマダラを「理解」できるのは柱間だろうし、
「今のオビト」の本質を信じ、オビトを最初に理解しようと思えるのはカカシをおいて他にないと思う(ミナトもきっと分かってくれると思うけれども)。
 
カカシは「オレに出来る事は今のオビトを殺すこと(しかない)」と言っていたけれど、そうじゃない・・・「今のオビトを理解できるのはオレしかない」、これでしょーよと私は思うのです。
 
「敵を理解する」なんてのは、それこそ「今までの常識」から言ったら「バカしかやりゃしないわ」的なおかしな話かもしれないけれど、敵をボコボコにやっつけて倒しちゃえ!なんてのは今までの「憎しみで憎しみを征する」忍世界のセオリーであって、それは先に何も生み出さない。
 
イタチがカブトを理解し「助けた」ように… 我愛羅が演説で言っていたように…
相手の心の痛みを知り、同じように涙を流し理解し合い、歩み寄れてこそ自来也が言っていた「本当の意味での理解しあう世界」が近づくのだと思います(キレイごとではあるかもしれないが)。
 
勿論、頭が固いカカシにとって《敵の心を理解し信じてみようと思う事》そして《敵を助けよう》なんてのはセオリー違反であって「例外」は許されないと思うし、その「常識という枠」をぶっ壊すのは容易な事じゃないと思います。だけど、それはやっぱり相手が「オビトだからこそ」出来る事でもあるんじゃないだろうか。
 
ナルトが「たとえどんな時でも」サスケを信じ続け、そして再不斬や我愛羅長門といった今まで闘った「敵」と「心」で分かり合ってきたように… 
イタチがカブトを「助けた」ように… 
カカシにはオビトの《本心…隠された本当の気持ち》を見つけ出し、オビトを「一人だけの世界」から助け出してやってほしい。
 
今まで「遅刻の常習犯」になってみたりして、「形だけ」掟やルールなんて無視してきたカカシだけど、本当の意味で常識を覆すことは難しく《古い忍システムの籠の中》から抜け出せず「ちっとも先なんて見えやしない」なんて言っていたんですよね…。だけどようやく籠から己を解き放ち、その眼で新しい「先」の世界が見え始めてきたんじゃないだろうか…? 
 
それがセオリーから外れる事、忍連合の部隊長としては「考えるべきじゃあない事」だとしても、最初の一歩を「やっと踏み出そうとしている」カカシに、今度こそ「よくやってくれた」と拍手を送りたい。 やっとカカシは忍世界の「先(未来)」に向けた入口に立てたんじゃないだろうか・・・でも、まだまだ「これから」。 オビトの「真実」は、まだ・・・
 
 
 
(そして…外の世界では「今もナルトに答えを求め続ける」オビト…)
 
 
「なぜ起き上がる…!?」
「お前は何のために戦っているというのだ? 仲間の為かそれともこの世界の為か?」
 
「いいか…仲間にはいずれ裏切られる そしてこの世界では愛は憎しみに変わる お前も分かっているハズだ」 「かつて里の者もサスケもお前を裏切ってきた…そして自来也の愛がお前に憎しみを与えた」
 
「お前もオレと同じだ 積み重なる苦しみがいずれお前を変えていく 
そして今お前にさらなる苦しみが襲うことになる」
 
「それでもお前は自分が変わらないと言いきれるのか!?」
 
…オビト、長門と全く同じことを繰り返してますね;
今までオビトが(時にトビとして)問い、確かめてきた言葉の「総まとめ」とも言えるような、この言葉たち…すべて「ごもっとも」な事だと思うし、今までの忍達は「意志」はあっても、ことごとく「これらの壁」にぶち当たり、挫けてきた。
どれほど強い意志があっても「乗り越えるのは不可能と思える程困難」な事であって、それだけ「しつこく確認する必要」がオビトにはあるのだと思います。
 
ですが…本当に「今度こそ」ナルトの意志を問う最終確認となるのでしょうか。
 
「またいつ仲間がお前を裏切るかもわからない 連合がまたいつ戦争をするかも分からない そしてこのオレに勝てるかも分からない…」
 
「こんな世界の為にもう戦う意味はないハズだ…もうこの世界も数分で終わる
そこまでしてなぜ戦う!?」
 
 
 
「・・・・・」
「自分の忍道だからだ」
 
「まっすぐ自分の言葉は曲げねェ 
それがオレの忍道だからだ」
 
 
遂に、出ましたね…ナルトの「決めゼリフ」。これが出たからには、これがナルトの「最終意志」…これで決着をつけてくれないと。
 
ナルトの言葉を聞いた「・・・・・・」のオビトの表情。
仮面を被っている時も、たまにナルトのこう言った言葉に「ドキッ」としたような反応と眼を見せたことがありましたが、面の下ではこういう顔をしてたんでしょう…と思います(例:59巻169頁、62巻128頁)。
 
『口先だけじゃなく、心も強くもたないと』というのがオビトがミナトから教えられた事であり、『(あの)言葉を口先だけにしない』というのがオビト自身の忍道でもあります。 だから、ナルトのこの言葉は・・ホントはオビトにも「かなりきてる」はずなんです。
でも、直後に再び“しかめっ面”をしたのは、ホントにホントに「ナルトが言葉を口先にしないのか、曲げねェのか」を問う最後の勝負に出て、確認してやろうという決意の顔なのだと私は思います。
 
サスケが自分から「ザッ」と力強くナルトの元に近寄り(それも「ごく近く」に立ち)、「次で決着をつけるぞ ナルト」と声を掛けたのは《オレも同じだ》との意思表示、そしてオビトの《またいつ仲間がお前(ナルト)を裏切るかもわからない》という言葉への「強い反論」、オレはナルトを決して裏切らないと告げる意志表示だったんじゃないだろうか。
 
そしてナルトの「オウ!」も、サスケの想いを受け取っての返事でもあるんじゃないだろうか… 「けして変わらぬ友情と信頼」に対する、ナルトの返事。
 
 
 
「眠るのは明日 夢は自分で見る!!!」
 
 
明日「10月10日」はナルトの誕生日・・・明日の夜には、全ての忍達が「帰るべき場所に戻って」、ゆっくりと眠れるだろうか。敵も味方も関係なく・・・
 
 
ついに九喇嘛チャクラが須佐能乎を着て「合体」のようですね、かつて終末の谷でマダラが一人でやっていたアレ… 須佐能乎とは尾獣が着る「鎧(器)」、そしてこの姿は「神」本来の姿なのではないか…とも思ってしまいます。 
これもマダラのように「一人で為す」のではなく、ナルトとサスケ2人で合わせ成す事で「本来の力」が発揮され、「より強くなれる」って事じゃねーか…と。
 
しかしこれも、まさに阿吽の呼吸…打ち合わせもしてないのに、以心伝心、自然と心が通じ合って2人でやっている事なんですよね。
「互いの心が読めちまう」・・・信頼しきった相手とは、自然と共闘が出来るものなんでしょうか(27巻154頁のカカシとオビトの共闘も、打ち合わせ無しで「眼と獣」としての完璧なコンビネーションを見せていたっけ)。
 
そして、サスケが言うように「次こそ」決着をつけてもらいたい…!(是非、そろそろ…お願いします)
 
ナルトとサスケがオビトに全力でぶつかり、意志の強さをオビトに「行動で証明しきった時」…オビト自身「運命に選ばれた二人」と言っていた“ナルトとサスケ”をようやく認めるのではないか…?
しかしオビトが「2人をぶつける」と以前から言っていたように、この2人がぶつかる事共闘という意味かもしれないが)が「封印の解除」などの「何か」を引き起こすのではないか…と考えております。 そして、オビトが本当に目的としているのは「こっち」なんじゃないだろうか・・とも思えたりで。
 
 
マダラが何をやろうとしているのか、アジトに保管されていた「写輪眼」はマダラが集めていたものなのかどうか…等々気になることもありますが、いずれはマダラと柱間も腑を見せ合い「今の忍達」にこれから先を託し、安心して一緒に昇天してくれるだろうと信じております。 
そしてこの先《カカシとオビトの「神威」での共闘》は必ずあるだろうし(もちろんそれはナルトやミナト、連合と共に「仲間を守るため」の共闘になるだろうという意味ですが)・・・27巻のカカシ外伝は「ミナト班の遅刻物語」だったけど、今度こそはミナト、カカシ、オビトでそれを「間に合った物語」として完結させてほしい・・・過去は変えられなくっても、未来はこれから決められるのだから。
 
 
ナルトとサスケ、ヒルゼンと大蛇丸、カカシとオビト・・・
 
そこにある「つながり」は、お互いを信じる気持ちでしっかりと紡がれ、どんなに時間が経ち「色々とあった」としても、けして色褪せることのないモノなのだと・・改めて彼らがそれを教えてくれたような気がする。 小さなつながりも紡がれていくうちに、やがて大きな繋がりとなり、それは「烏合の衆」に再び戻りかねない忍連合を「しっかりとした1つ」にしてくれるのではないだろうか・・いい意味での「鎖」となって。
 
そして、そのつながりで全てが紡がれた時、ここに居るのは全て、戦いと憎しみと復讐を繰り返してきた忍システムの無秩序に苦しみ「同じ痛みを抱えてきた」忍達ばかりなんだと…ここに本当の意味での「敵」なんていないのだと、皆が気づくのではないかと…。
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
☆サスケの須佐能乎は、まるではじめから九喇嘛(尾獣)の鎧(器)として容易されていたかのようにピッタリ合うような・・。
ナルトが持つ火の意志を、サスケが火を操る者として大きくする・・・それがこの共闘なのかも。
 
 
☆ちなみに・・ですが。
サスケはまだオビトの「万華鏡写輪眼」をたぶん見たことが無い(オビトは人柱力になってからずっと普通の写輪眼)。51巻鉄の国でサスケはカカシの万華鏡を見ているので、もしオビトの万華鏡を見たら「千鳥の後継者」サスケは何を思うだろう・・? (サスケの千鳥とナルトの螺旋丸の共闘は、いつぞ…?)
 
 
☆宜しければご意見をお聞かせください。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/10/12)