ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

ナルトの心を埋めたもの、オビトの心を埋めたもの

ナルトの心を埋めたもの、オビトの心を埋めたもの

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この嬉しそう~な、子供らしい顔したナルト。
 
これは17巻、お祭りでいっぱい買いものして、食べて、遊んでいるところ…
もっとも、一緒に旅していた自来也は“情報収集とやら”でナルトを放置して、ひとりでどっかに行っちゃってたんだけどおねえちゃんと遊んでた)。
だけどナルトも任務で貯めた三千両を持って、金魚すくいしたり、おやつを買ったり、お面を買ったり、ゲームしたり…楽しそうにしてたんですよね。
 
だけど残りのお金が「ちょっとだけ」になると…まるで「夢」が終わってしまったかのように、急に「現実」に戻って寂しそうな顔になる。
 
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「すっかり心も満たされたはず」だったのに…なぜか満たされない。
いっぱい遊んでいっぱい買って、いっぱい食べたのに…
 
それでも《エロ仙人がオレのために修行をつけてくれるんだ!》って思い出して、頑張って元気を出して“笑顔”を作ってみるんだけど… でも今度は…
小さな子がお父さんと《仲良さそうにアイスをふたりで分けっこして食べている》のを見て…
 
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また、すごく寂しそーな顔になる…
 
 
「心の穴を埋めてくれたもの」…それはナルトを認めてくれた仲間や大人達の存在。
 
昔は「孤独」だったけど、今ではナルトの周りには仲間がたくさんいて、もう寂しくないハズなのに…でも、まだ寂しい時がある。この頃のナルトは「ひとりになる」ことが怖かったんじゃないだろうか…? もう二度と「孤独」に戻りたくはないって。 
だから《お父さんと一緒にアイスを分けっこしてる子供》を見て自分の孤独を感じてしまって、寂しくて寂しくて、だから「一緒に修行をして欲しい」なんて自来也に頼んでしまうんですね。 せっかく仲間が増えたって、ひとりでいるなら今までの「孤独」と変わらない…だから「一緒に居てほしい」って。
 
でも、自来也の反応は意外にも(ナルトにとっては)ちょっと冷たいモノだった。
 
自来也「甘えるな、お前は忍者だ」と言われて、一瞬すごく悲しい顔になってしまうんだけど、でもすぐに(頑張って)元気出して、
 
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「へへーん!ンなの言われなくても分かってるってばよォ!!」と笑ってみせた・・・(思いっきり作り笑顔なんだけど)。
 
でもこのあと、一人で螺旋丸修行を頑張ったナルトに、自来也はごほうびとして「アイス」をナルトと「分けっこ」してくれた・・・
 
自来也は「分かってた」んですね。何が、ナルトの心を埋めるのか。
何が、ナルトに足りてなかったのか。
 
《アイスを分けっこしてる親子》を見て「羨ましい」と思ったのは、父ちゃんが一緒に居てくれるから」だとナルトは思ったかもしれないけれど、本当はそうじゃない… それよりも「アイスを分けっこしてるから」だったんですよね(きっと)。 それぞれ別々のアイスを食べてるんじゃなくって、1つのアイスを「分ける」仲良さ…その「繋がりの深さ」が羨ましかったんじゃないのかな。
 
自来也だって「一緒に修行してやる」ぐらい簡単な事だったかもしれないけれど、それじゃあナルトの孤独がいつまでたっても「解決」しない事を自来也は分かってた。 自来也だって「いつも」一緒に居てやれるわけじゃないし、ナルトにとって一番大切な事は「一緒に居なくても、いつも一緒だと思えること」、繋がりを実感できることだって分かってた…だからあえて「冷たいような事」を言って放置してたんだろうなぁ…。そして「つながり」を確認するかのように《アイスを分けっこしてくれた》…
 
この時、ナルトは、ようやく自分の心の穴はすでに「埋められている」事を実感できたんじゃないだろうか…?
 
どんなものでもお金を貯めれば自分で買えるし、努力すれば強くなれるし、周りに仲間も増えるし… だけど「分けっこ」するのは誰かと一緒じゃなくちゃできない…一人じゃできない。「1つのアイス」をふたりで分けて食べること… それはとっても「小さな幸せ」だけど、ナルトにとっては「すごく大きな幸せ」。《同じもの、同じことを一緒に共有する喜び》…それを自来也は与えてくれた。 自来也は、ナルトの「本当の寂しさ」の意味を分かってくれていた… そして、どうしたら「心の穴は埋められている」ことをナルトが実感できるのかも分かってくれていた。
 
(そういや自来也は、長門達とも一緒に『魚を分けっこして』箸をつっついていたっけ)
 
自来也が死んでしまった時、イルカが同じように「アイスを分けて」一緒に食べてくれて(44巻)…ナルトは『あの時』を思い出して、いまでも『自来也と一緒』だってことを思い出したみたいだった。たとえ離れていても、自来也の愛はナルトの心の穴を埋めてくれているのだと。
 
そして、あの時にナルトを満たしてくれた想いは、今の《螺旋丸を同期達と分けて使う発想》にも繋がったんじゃないだろうか。 心の穴を埋めてくれるのは、1つのモノ、1つの想いを一緒に仲間と「分ける」こと…それがつながりを「実感」させてくれる。
 
そしてオビトですが、599話や603話の過去話を見ていると ナルトとそっくりな「元気な性格」ではあったけど、それでいてどこか「孤独」… その孤独を「他人に見せようとはしなかった」ところもナルトに似ている。そして、その寂しさを「作り笑顔」でごまかすところも、ナルトと同じ。
 
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「もちろんオレは火影になんぜ」
「そしたら…女にかまけてる時間なんかねーんだよ!だろ?先生」
 
…これも頑張って「作った笑顔」。
 
オビトは子供時代、家に居る時は一人でポツンと机に向かっていたみたいだし…
「本当の自分」をなかなか他人には見せられなかったんだろうか。孤独な心を埋めるためなのか、机の前には「たくさんの写真(リン以外の写真も)」が貼られていて…
 
カカシ外伝でのオビト最期の心の言葉(27巻)、《カカシの奴と…せっかく仲良くなれたのになぁ…》なんて言葉にも、「中忍に昇格して認められたこと」より「カカシと仲良くなれた事」のほうがずっと嬉しかったんじゃないかという“孤独だったオビトの心”が見えているのですが、最後の最後に、オビトは孤独をどうやったら「埋められるか」…彼なりに答えを出している。それが、カカシへの「写輪眼」のプレゼント…
 
自分の宝である眼の1つをカカシと「分ける」事…1つのものを「ふたりで分けて持つこと」で、カカシと「いつも一緒」だと感じることが出来る…たとえあの世とこの世で離れてしまっても。
 
あれから十数年…オビトの心の穴を埋めてきたのも《カカシと眼を分けている》ことだったんじゃないだろうか。
ふたりの友情の証でもある「同じ眼」…たとえ離れてしまっても、同じ「神威の眼」をカカシと一緒に分けて持っている事が、オビトにとって何よりも大切な「心を埋めたもの」だったのかもしれません。…それがカカシとのつながりを「実感」させてくれる。 
 
あの写輪眼はカカシには「重荷」だったんじゃないかと思っていたけれど、カカシにとってもオビトとのつながりを実感させてくれたもの、「大切な心を埋めてくれたもの」でもあったんじゃないだろうか…?
 
日常生活の中でありふれた光景である「アイスの分けっこ」「最高瞳術を持つ写輪眼の分けっこ」を一緒に語るのは変かもしれないけれど、それでもナルトの心を埋めた想いとオビトの心の穴を埋めた想い…それは本質的には同じだったんじゃないか…と思うんです。
 
 
☆駄文読んでいただき、感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/10/23)