ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 654:うちはオビトだ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ50号)

NARUTO 654:うちはオビトだ

 
「リン・・・・・・」
 
リンが取ってくれた「左手」を見つめるオビトの表情が・・・とにかく切ない。
 
《オレは・・・負けたのか?》 
 
 
リンが「今のオビトの姿」を望んじゃいない、リンは「火影になってカッコよく世界を救うオビト」を望んでいたって事は、オビトだって分かってたと思うんです。だから「火影の自分」を想像したり、今の自分の事を「世界の敵」と自覚している発言も度々してきたのだろうし・・。でも、リンは今でも「強がっちゃダメ」「行こ・・」と手を差し出してくれてるんじゃないだろうか。
 
何だろう…うまく言い表せないのですが、一つの大きな勝負がついたというのに、どこか不思議なふわっとした感覚が残ってるんです。ラストのオビトの表情のような、力が抜けたような、試合が終わったあとの緊張が一気に解けちゃったような、一種の脱力感のような・・あるいはホッとしたような感覚。オビトもようやく「解放」された表情にも見えます。だけど、気合を入れなきゃいけない「本当の闘い」は、きっとこれからじゃないかと思うんです。いわば十尾オビト戦は「前哨戦」だったんだろうと・・
 
さて、オビトから遂に尾獣チャクラを引き抜いて、綱引きに「勝った」連合の忍達・・今度こそ一生忘れることのない「皆で成し遂げた一体感」をきっと実感したことでしょう・・それこそ、五影も一流の忍も末端の忍も関係なく「平等な達成感」を。 運動会でも「綱引き」だったら運痴でも平等に活躍できちゃうから、綱引きをした末端の忍達の《今まで経験したことのない自分の肯定感、達成感》は(私にも)よーく分かる。あの大蛇丸も綱引きに参加してるんだろうか、一体どんな顔で引っ張ってるのかと思うと、不思議・・というか、微笑ましいかな。
 
“九尾とナルトのチャクラの綱引き”に始まり、616話感想で出した「耐え忍ぶ者」の話(「堪え忍ぶ」ではなく「耐え忍ぶ」だと、重圧に堪えるのではなく、しなやかに紡ぎ続けていくの意になるという話)、そして柱間が言っていた「紡ぐ」という言葉につなげられ、最終的に忍達全員によって「紡がれたチャクラの綱」という形に結実した一連の「チャクラの綱引き」の話。 “耐え忍ぶ”しなやかさで強いひとつの糸に撚られたチャクラの綱の図は、まさに《忍とは耐え忍ぶ者である》ことを形で証明した図でもありました。「天から見下ろす存在」に対して、忍達は己の意志を「見せつけた」というべきでしょうか。「月」は、忍達の姿を見て何を想うのだろう・・・
 
にしても、「綱手」と「縄樹」の名前には、柱間爺ちゃんの「紡いでいく」想いが託されてますね・・・やはり名前は「親(あるいは名付け親)からの最高のプレゼント」。
 
「オレは誰でもない」なんて言った仮面男に、ナルトが「猛烈に怒った」のは、両親が《ナルト》という名前に託してくれた想いを知ってるからでもありますよね。
誰にだって大切な名前があるハズで、それを捨てて自分の存在を認められないでいる仮面男の発言は、「かつての自分」に見えたのかな・・ナルト。
 
そして、そのオビトですが・・・
かつては《オレはうちはオビトだ!》なんて誇らしげに名乗っていたオビトですが、そもそも《オビト》という「十尾との関わりを宿命づけられたような名前」をつけたのは、オビトの両親なんだろうか…? なぜオビトの両親は《オビト》なんて名前を付けたのか気になるけど、この「理由」は明かされることは・・ないだろうか(無いかなぁ)。
 
でも、オビトは両親の事を覚えていないみたいだから、残された「両親の写真」と、両親が自分に与えてくれた「オビトという名前」はオビトにとっちゃ大切な両親の形見だったハズなんです。だからこそ《おれはうちは一族のうちはオビトだぞ!》なんて名乗ったり、何よりも「名前」を大切に背負っていたはず・・。
 
そしてオビトがいかに「形見」を大切にしているかは、この闘いにも爺ちゃんの形見《マダラの団扇》を背負って出てきた事で分かるし、かつてカカシがサクモ父さんの大切な形見《白いチャクラ刀》をずっと背負っていた気持ちも オビトには「よく分かった」のだろうと思います。そのオビトが大切な「オビト」の名前を捨てて「マダラ…トビ…好きに呼べ」なんてなっちゃったのは、余程の理由があったから・・のはず。
 
オビトが「マダラと名乗るようになったいきさつ」については既に63巻の回想で「語られ済み」。
だけどオビトが「トビと名乗るようになったいきさつ」については、まだ語られてないんですよね・・・そして「こっちのいきさつ」のほうが「重要」なのではないかと考えてます。
 
・・・なぜ、オビトは「トビ」になったのか。
 
63巻の回想の頃は、白ゼツ達はオビトのことを「オビト」と呼んでますが、いつの頃からかオビトとは呼ばずに「トビ」と呼んでいるわけでして、グルグル仮面を被った「仮面男」は、もはやオビトとは言えない状態、つまりオビトとトオビ(グルグル?)が一緒になった存在=略して「トビ」だったのではないかと推測しておりますが、このあたりのいきさつは《きっと》語られるであろうと期待してます。
 
グルグル・・・かなりの重要な「存在」であるのだろう、と。
 
 
(そして、ナルトに「今さら…火影の自分なんか想像すんな!!」とぶん殴られ、かつての自分とナルトが重なり、フッと過去の記憶「行こ!」とリンに手を引いてもらった「続き」の世界に入っちゃうオビトですが・・)
 
「またお前のせいで遅刻だな…オビト」 (カカシ)
「行くよ オビト」 (ミナト先生)
 
うん、これは「いつもの」ミナト班の光景ですね・・いつだって「待ってて」くれたんですよね、ミナト先生もカカシも、もちろんリンも。
 
ミナト先生はオビトの遅刻に怒った事はないみたいだし、リンはいつも笑って「待ってたよ」と言ってくれた。 カカシは文句はつけるけど、「それでも待ってる」・・・これ、すごく有難いことだと思うんです。普通、遅刻の常習犯は理由が何であれ、あっさり切り捨てられるモノなのに、ミナト班の仲間は遅刻してくるオビトを「いつだって、いつまでも待っててくれた」。
 
ミナト班の仲間がオビトの「本当の遅刻の理由」を認識していたかは分かりませんが、それでも彼らがオビトの遅刻を寛容に受け入れていたのは、オビトの欠点を差し引いても、それを上回る「オビトの良さ」を認めてたからじゃないだろうか・・他の誰にも無い「オビトにしかない可能性」を、ミナトもリンも、カカシも気づいていたのかもしれない(オビト自身は「受け入れられていた」ことを、感じていたのかなぁ・・)。
 
(そしてかつてのオビトが、今のオビトに語りかける・・)
 
「そう…今のお前じゃリンには見向きもされねーよ」
「リンが見守りたかったのはうちはオビトだ」
 
「!」
 
「…もういいだろ …オレは――」
 
「うちはオビトだ!」
 
《もういいだろ》ってことは、今までも本当は《うちはオビト》でいたかったのに、それを自分に「許してなかった」って事だろうと思うんです。やっぱり「オビト」の名前は、オビトにとって両親がくれた形見、大切な「宝物」だったはずだから・・
 
そして「いいから来い!コノヤロー!!」とナルトについに手を取られ・・「皆の力を―」 《なめんなってばよ!!!》と、ついにオビトの体から抜かれた『尾獣達のチャクラ』。
忍連合はこれで綱引きに「勝った」わけだけど、同時にこれでオビトを「助けた」とも言えるかな。この十数年間「十尾」に縛られていたオビトを、十尾から解放し、「うちはオビト」に戻し助けたのだと・・
 
そして・・尾獣達ですが。
 
実体化して出てきましたねぇ、これで一尾~九尾までが揃った事になりますが、今まで“目に見えなかった”尾獣達が可視化したことで、ようやく忍達は尾獣達の存在を“実感”出来るんじゃないでしょうか。 これで忍達と尾獣達が「共闘」を通して自然に和解出来るのではと期待しちゃいますが、その一方で、この戦況を別視点でかなり「冷静に読んでいる(のではないかと思う)サスケ」は尾獣に対して、どういう対応をするのかな・・?
 
しかし、ン十年、いや数百年なんだろうか・・・長い間敵対していた「人間と尾獣」、そして長い間続いてきた大国どうしの敵対関係、不信・・・
考えてみりゃ、この戦場に居るのは「元敵同士」ばっかりです。親の仇だったり、友の仇だったり・・それが共闘することで自然と「分かり合っていった」んですよね…やっぱり忍達にとって拳を合せて分かり合うやり方、「共に闘う」のが一番なのかも。 一緒に闘う中で同じように泣き、笑い、想いを同じにし… だからサスケも一切のいい訳やら弁解をせず「行動で」ひたすら証明していっているんじゃないのかな。
ナルトも前回はオビトに《償え》的な事は言っていたけど、それは懲罰的な処遇を受けろって意味じゃないと思うのです。「こっち」に戻って「うちはオビト」として一緒に仲間を守れという意味でナルトは言ったんじゃないだろうか・・・ナルトはオビトって人物が「本当は愛情深い、仲間思いのいいヤツ」なんだってことは、だいたい見抜いてしまってるのだろうから(とはいえ、やや強引な方法で知った「情報」だけでオビトの全てを理解したつもりになるのは「まだ早い」と思ってるのだけど)。
 
以前、カカシが我愛羅に『お前がサスケの何を知ってるかは知らないけどね…サスケの全てを見透かすような言い方はダメでしょ!』なんて注意してたことがあったけど、ナルト(達)もオビトのことを本当に「知る」のは、これからだろうと思ってます。「これから」・・ オビトもようやく十尾と完全に「切れた」ことで、今まで閉ざしていた「重要な事実」もやっと見せてくれるのではないだろうか(とも期待)。
 
そしてナルトだけじゃなく、他の忍達も少しずつ分かってきてるんじゃないだろうか・・憎しみや復讐心は何も生み出さないこと、そしてここに居る忍達は敵も味方も無く《同じように心に傷を負っている仲間》ということも。なにせ、連合の皆だって「元敵、仇同士」ばっかりなのですから。 
 
今日の敵は、明日の友・・かもしれん。
 
 
(オビトの体から尾獣チャクラが抜け、パラパラと十尾の衣が剥がれ、オビトは「うちはオビト」に戻っていく・・)
 
この絵が印象的でして・・・オビトは「負けた」なんて言ってますが、まるで「浄化」されていってるようにも見えるんです。十尾がオビトから離れ、オビトは遂にようやく「オビト」に戻ったんじゃないかと・・十数年前に消えたあの「うちはオビト」に。
 
ドサっとオビトが落ちた「穴」、
そしてオビトが見上げる先にある「月」。
 
この光景は、あの日…リンの事件があったあの夜、月の血の涙が滴る中で見上げたような光景… 
 
そして次にオビトが見上げた「手」、
リンが「(皆のところに)行こ」と取ってくれた「左手」。
 
この光景は、あの日…神無毘橋でオビトが「最後」に心で見たような光景…
 
神無毘橋で岩に囲まれた穴の底で・・・「うちはオビト」が最後に見た光景は、「離れていく、差し出されたリンの手」だったと思うんです(厳密にはすでにオビトは左眼は無かったから「実際に見えてたわけじゃなく」、心で感じていた光景なわけですが)。
 
「行け、リン!」と振り解いた、本当はいつまでも離したくなかった、リンと繋がれていた「左手」…そして神無毘橋のあの後、マダラによって「あの世との狭間(外道の居る場所)」に連れてこられ、「うちはオビト」はこの世界から一旦消えてしまった…
 
でも、ようやく「あの時」に今、オビトは「戻された」のだと思います。あの時に「戻ってきた」。もう一度「やり直す」ために。
 
この戦場でオビトとの闘いが始まった時、覚えておられますでしょうか・・
十尾復活に伴って岩が空に舞い上がっていき・・まるで「岩が降って埋もれた神無毘橋の、あの時の映像の逆再生を見ているかのようだ」・・という話をしたことを。やはり神無毘橋への「巻き戻し」はあの時から始まっていたのかもしれません。
 
そして、この前もちょっと触れましたが、今のオビトの「服装」も、マダラのアジト(あの世との狭間)に連れてこられた時(602~603話)と全く同じでして、《上半身は裸で、下は裾が破れた服》に「戻ってる」。 まさに・・オビトは「戻ってきた」・・
 
外伝では、オビトはあの時「死んでしまった」わけですが、今度こそオビトは「生きて」戻ってこられるでしょうか。
 
まだ「オビト」については、忍連合の忍達も・・そして読者の中でも「許せない」と考える方はおありでしょう。しかし本当に「許せない」のか・・それはオビトの「これからの行動」と、そしてオビトの本当の「遅刻の理由」が明かされるまで、その判断は待ってもいいんじゃないか・・と思います。 まだ忍達も我々も、オビトのことは「知っているようで、よく知らない」。オビトの「本当の遅刻の理由」が明かされるのを、待ちたい・・・
 
尾獣を抜かれた人柱力は即死じゃないのか等々の疑問もありますが、今後控えていると(思われる)本当の闘い、「十尾(あるいは神のような存在)との向き合い」には、今まで十尾とリンクし、十尾を「コントロールして抑えていた」オビトの存在は極めて重要だし、神の空間に出入りできる「左右揃った本当の神威の力」も必要となってくるのだろうと思います。外伝以来の「カカシとのコンビネーション」も、是非見たい・・・今度こそ、本当の意味で「2人の写輪眼の英雄」になってもらえたら。
 
「相変わらず派手に遅刻してきたオビト」を、カカシとミナト、そして「オビトの同期達」はきっと迎え入れてくれるだろうと・・思ってます。
そして敵だった「オビト」をどう受け入れるのか・・それが忍達にとって新たな課題でもあるのかも。しかし、ここに居るのは「同じ心の傷を負った者達同士」・・平和を願う者達どうし。
 
オビトの手で隠された「月」・・オビトを迎え入れるのは、「月」に代わって「仲間の手」・・
 
あとは、今のオビトが自分でこう名乗るのを待たなくては・・・
 
「オレはうちはオビトだ!」と。 
 
オビトはいずれは「戻ってくるべき人物」だと思っているので、もう・・こう言っちゃってもいいんじゃないだろうか。
 
 
 
おかえり、「うちはオビト」と。
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
☆今週も事情により駆け足になりましたが、抜けている部分は時間が取れた時に追加記事で補足していけたら・・と思います。
コメント欄は、記事を見直し後・・あるいは追加記事のところでと考えておりますが、今週もお返事を書く時間が取れないかもしれません。申し訳ありません。
皆様との「対話」を何よりも楽しみにさせていただいているので、ちゃんとお返事を書けるようになった時は、またどうか御意見よろしくお願いします。いつもありがとうございます。
(ナルト好きブログ!2013/11/11・・自来也、誕生日おめでとう)