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NARUTO69巻の感想をちょっと (2つの地味なレジェンドについて)

NARUTO69巻の感想をちょっと (2つの地味なレジェンドについて)

 
  まず最初に一カ所…今回コミックスで『訂正されるかどうか』気になっていた部分がありまして… それは665話でマダラが「今さらくだらない事を聴くな」と言った「聴くな」の漢字。 これ…正直言うと「これ単純にミスじゃないのかなぁ(コミックスで訂正されるかな)」なんてこっそり思っておりました(感想にもそう書いちゃったけど)。 で…今回ちゃんと「聞くな」に訂正されておりましたので、感想で書いた「聴くな」の解釈は見事に「不要」になりました(一応こじつけで「聴く」で雑考したんですが、どうもしっくりこなかったですねアレ)。あれは見なかった事にして(笑)…
 
 さて…69巻(658~668話)ぶっ通しで再読して、全話通じてこの巻はマダラさんが六道の力を得てますます大暴れ、その『強さ』にひたすら圧倒される巻なわけですが…
 「マダラの六道化」「カカシとオビトの共闘」「ナルトとサスケの危機」等色々と大きな出来事があった中で、ひっそりと異彩を放つ「地味なレジェンド」が2つほどあります。派手な戦闘と激動の中での「地味な話」…
 
 
 
 それが《砂隠れの分福和尚と、ガイの父マイト・ダイ》。
 
 
69巻を通して読んでみて、実は…一番静かに深く印象に「残った」のは、この2つの話でした(ま、ダイは表紙にもなってる訳だけど…)
 
 分福は「薄気味悪い坊主」なんて言われた(見た目は)弱々しいジジイ。
ダイはうだつが上がらない「万年下忍」…どちらも「強くてカッコいい」忍ではないし、忍世界では「目立たない人達」。
 
 守鶴の記憶に残る《分福の考え方》、そしてガイの記憶に残る《ダイの考え方》…それらは忍達の「ジョーシキ」からはちょっと外れていた。 だけど彼らの「常識にとらわれない発想」こそが、忍の未来を変えていくんじゃないかとも思うんです。彼らは一足先に「答え」を見つけていたのかもしれない…
 
 今までの「戦争編」を振り返っていくと、だいたい…「イタチが一足先に見出した答え」を、そのあと忍達が(あれこれ迷いながら)見出していく…そういうパターンに思えるんです。 「答え」が先に(読者に)示されて、そのあとからナルト達が「出会いや経験」を通してそれを自分達で見つけていくという話のパターン。
 今度は「分福とダイが一足先に見出した答え」を、忍達が見出していく事になりそうな気がするんです。
 
 分福の「人間の裏の心は本来受け入れあう事を望んでいる」という考えや、ダイの「短所も長所になる」前向き発想とか…そういう「従来ではあり得ない発想」で世界を見直せば、今のこの世界も「全く違うもの」に見えてくる…かもしれない。
 
 分福やダイの様に「忍世界では認められることが無くバカにされていた人」の答えの価値に、忍達も気づいていく。 それこそ忍達の意識の「変革」ってことじゃないかと思うんです。
 69巻の中で、マダラの「ド派手な大暴れ」の蔭に埋もれて目立たない2つの地味なレジェンドの存在…これが後々「効いてくる」んじゃないだろうか。
 
 つまり…《新たな答え》が示されたという事は、この戦争も《大きな転換点》に入りつつあるという事じゃないかとも思います。そしてその1つが「グルグルの再登場」じゃないかと考えています。 あの「グルグル」…底知れないコワさと不可解な人懐っこさを併せ持つ…何とも不気味な存在です。
 
 そして、グルグルが忍達に投げかける問い便意ってどんな感じか聞いてんだろ」(662話)…これは超真面目な質問であって、《「きている実感」ってどんんな感じか?》という意味じゃないかというのが当ブログでの解釈でして…そう解釈すれば、グルグルの次のセリフ「まぁ…人を殺した時の…スッキリ感に似てるって思うんだけどね…」の意味も分かる気がするんです(マダラは「流れる血」で生きている事を実感していましたが)。 
 そして…一番肝心なのは「ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないって事?」…ここじゃないかと思っています。「生きている事の実感について、真面目に答えようとする忍はいないのか?」…というね。
 
 「死」で己の価値が決まる忍世界、相手の「死」で己の存在を実感する忍世界…「死」に支配された忍世界の価値観の基準を「生」に切り替えるには、かなりの「逆の発想」が必要となってきます。
 
 ガイは、父親ダイの「死に様」を想い、自分も父の死に様のように…との決意で八門遁甲の陣を使いますが(実は「ダイのその後」はハッキリはしてないけど)、ガイが思い出しているのは「父の死に様」だけではなく「生き様」も思い出しているんですよね。
 たとえバカにされても貫く己の道、短所も長所と考える発想、前向きな発想…ガイが大切にしているのは、本当は父親の「生き様」のほうなんじゃないだろうか。ガイを愛し、いろいろと教えてくれたダイの生き様。 
 
《父の生き様》…664話「父親だから」では、色々と先回りして心配するクシナに対して「何があっても子供を守る」と言い切るミナトは「父親だから」と微笑んでみせる。 母ちゃんみたいな先回りの心配はしないけれど、「今」出来る事を精一杯して必ず守ってみせるのが父親の愛情、そして生き様。…そんなミナトの回想も入ります。
 
 この話の流れ…ガイを横で見ていた「カカシ」にも繋がっていくんじゃないかと思っています。 今週「眼」を奪われたカカシだけど、この前には「父さんが言っていたことは本当だった」なんて思い出していたし、カカシが《父サクモの生き様》を胸に、サクモの様に「立つ」時が近づいているのでは…なんて期待しています。
 
 この戦争が始まったばかりの頃、カカシもまだ「オレにも忍として守るべきもんが色々ある」 「再不斬と白…こいつらの死に様もその一つだ」と語っていましたっけ(524話)。 実際にカカシはずーっとオビトやリンの「死に様」を守ってきたし… だけど「生きていた」オビトと再会し、少しずつ彼の考えも変わっていき生きていたリンの想いまで消すなよ」なんて言うようになっていった(630話)。 死に様を守るのも大事だけど、生き様を守るのも、もっと大事…
 
 
ガイの記憶に残る「ダイの生き様」、
そして守鶴の記憶に残る「分福の生き様」。
 
 
 大切に受け継ぎ守るのは、それぞれの「生き様」なんだと思える時、やっと次のステージの答え…生きる意味を考える「答え」に近づいていけるんじゃないだろうか。そんな事を改めて感じた「69巻通し読み」なのでした…
 
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
☆GW後半…皆さんどうお過ごしですか? まだ次のジャンプまで一週間もある…それまで小記事でお付き合い下さい(ちょっとNARUTOから外れた寄り道記事も出すかもしれませんが)
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/5/04)