ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 681 カグヤの涙 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ30号) その3

NARUTO:681 カグヤの涙 (3)

 
・《カグヤの涙》
 
カグヤ…なんだか情緒不安定な感じにも見えます。 この前は、ナルトを見て「封印の手を突き出すハゴロモ」を想って表情を硬くし、今度はナルトとサスケに「ハゴロモとハムラ」を想い愛しそうに涙を流す… 「地の底」に落とそうとしてみたり、近くに寄って手を差し出し顔に触れてみたり… 表情もやる事も、コロコロと変わる。「愛情」と「憎しみ」が、「優しい女神の面」と「怨念の鬼の面」のようにスッと入れ替わる。愛情と憎しみは表裏一体とは言うけれど、「変わる」というよりも「一緒に在る」感じ…かな。 愛情深く優しく守ってくれる「女神」としての一面と、悲しみに囚われた「鬼」としての一面…でもその「両極端な面の同居」は、なにもカグヤに限った話ではなく、誰でも持っている「両面」じゃないか…とも思うんですよね。
 
 莫大なチャクラを得て「母なる全能の神」と化し己を失っていく中で、《ハゴロモとハムラの母であること》…ただそれだけが、カグヤが自分を「大筒木カグヤ」であると…自分を見失わないための拠りどころだったんじゃないだろうか。
「十尾」と一体化していく中で、「母としての愛情」(もはやそれは「チャクラの独占」という歪んだ形での愛情ではあったけど)…それだけが「カグヤがカグヤであるための、意識を繋ぎとめておくための」ものだったんじゃないだろうか。「そして「母」であり続けるために、チャクラは「ワラワだけのもの」にしておきたかったんじゃないだろうか。
 
ずっと…「弱い子供たちを守る母」でありたかったのかな。ハゴロモとハムラの母》だけでなく《全人類の母》でありたいと願ったんじゃないだろうか…カグヤは。
  
 黒ゼツの話によると、カグヤが「無限月読」で人間たちを「白ゼツ化」させたのは「兵にするため」という事だったけど、なぜ「戦闘向きじゃない」白ゼツを兵にしたのか疑問だったんです。 でも…カグヤは「強い兵」を求めてたわけじゃなかったのかもしれないですね。「弱くてカグヤが守ってやらねばならない兵、カグヤに従順な兵」が必要だったのだろうか。カグヤが「母」であり続けるために…慕われる「母なる全能の神」であり続けるために…
 
 ナルトとサスケを見て一瞬見せた「優しい母の顔」、「切ない涙を流した母としての表情」…長い間封じていた「カグヤの心」が戻ってきた感じでした。
二人を見つめる眼は「白眼」ではなく普通の眼…「チャクラ」を見るのではなく、ナルトとサスケの「顔」を見て「かつての息子達の顔」を見ていた… 
 
「お前達が…憎い」
ハゴロモ…ハムラ… お前達はワラワのもの」
 
「白眼」に切り替えて二人の中に在る「チャクラ」を見て「憎い」と言ったカグヤ… でもその言葉は「憎い」と言いながら「愛している」とも言ってるように聞こえるから不思議です。 《子供達からの拒絶》…これがカグヤにとってどれほど辛かったか… その気持ち、分からないではない。
 
しかし、ナルトが(黒ゼツに)言い返した言葉…これは実に痛快でもありました。
 
「それにィ――!!」
 
「親離れを喜ぶのが母ちゃんってもんだろうがァ!!」
 
こんな状況下で、ラスボスの「ごとき」貫禄を見せるカグヤを前に…こんなことが言えるのは「ナルトぐらい」でしょうか(笑)
 
「神」とやらが「全てのチャクラを取り戻し、全人類を滅ぼそうとしている」とんでもない危機だってのに、事の本質は「子離れできない母ちゃんの想い」だって事をナルトは鋭く見抜いている…
ナルトは「メンドクサイ事の難しい分析」は苦手だけど「一見メンドくさそうな問題をシンプル化する」事は得意ですね。
 
 意外と「子離れできない親」ってのが、このNARUTO世界では深刻に問題化してるんだなぁ…とも思います。マダラのやってる事も「大いなるおせっかい」といいますか、「ずっと先までオレが見守らなくては」という想いが強すぎると思っていましたが、カグヤもそうなんですね。愛情深い人ほど「子離れできない」…それが酷くなると「子供の親離れを認めたくない」になってしまう。心配過ぎて子供を「信じられない」…
 
少し前の「ダイとガイ親子」エピソードの事なんですが――
「ダイの濃ゆすぎる愛情」が周囲には理解され難く「虐待じゃないの?」と囁かれたり、サクモがダイを「モンスターペアレント??」なんて勘違いする場面がありましたよね。
ダイってのは、ものすごい愛情深い熱心な父ちゃんだから、かなり「ガイへの押し付け(に見える)」もあったのは事実です。 それは正直「行き過ぎ」な部分もあり、傍から見れば「虐待」に見える事もあったかもしれないですね。 でも「自分なりの自分ルール」を確立し自立していく息子を見て、ダイは「子供の親離れ」を実感したようでした。そして「それを認めた」…
 
「子供たちの親離れを見て喜ぶ親」…四代目風影、シカク、いのいちもそうでしたが、この前もミナトが「立派に成長したナルト」を見て涙ぐんでましたっけ。
ナルトが「親離れを喜ぶのが母ちゃん」なんて言ったのも、あの「うれし泣きするミナト」を見たばかりだから…ってのもありますよね(「親孝行」出来て、ナルトも嬉しかったんだろうな… あの時、ナルトは照れ隠しだったのか?かなりカッコつけてたけど)。 だから余計に「親離れして成長していく子供をなんで素直に受け入れないんだよ??」と不思議に思っちゃうのかもしれない。
 
「親の愛情」ってのは深~い分、難しいものですねぇ…愛しいから「守りたい」、「守る事が親の務め、愛情の証」と思ってしまう。 
でも「カグヤ」だけが特別なのではなく…そういう「愛情の示し方」をする親っているんじゃないでしょうか…たとえば結婚や就職にまで口出す親とか。 
 自分が居なくなる先まで、自分が守りたい…「見届けられない不安」から子供の将来まで自分が決めようとしてしまう。それも一種の「モンペ」なのかもしれない。。。
 
 イタチだって、サスケに同じような事をしてましたよね。 愛しているからこそ、サスケを「幸せな道に導きたい」と願い、自分が居なくなる「先」までサスケを導こうとしてた…  だけどそれは間違いだったと悟り、穢土転イタチはサスケに「信じている」事と「愛している」事を伝え、いずれ「兄離れしていくであろうサスケ」を信じ微笑みながら逝った…。
 (イタチが最後にサスケに「信じている事」と「愛している事」を伝えられたのも、フガクの言葉を思い出したから…じゃないのかな。あの事件の日にフガクから「お前を誇りに思う」「お前は優しい子だ」と「信じている事」と「愛している事」を伝えられ、イタチも解き放たれたから…)
 
ナルトだって、ミナトに「どこまでいっても子供を信じるのが親」「お前を信じている」と言ってもらい、クシナに「愛してるよ」と言ってもらい…それが自信になって「親離れ」出来たんだと思うし、親ってのは「愛してる」ことと「信じてる」ことの両方を伝えていかなくちゃいけないんだな…(と思う)。
カグヤは「愛」は伝えたかったんだろうけど、「信じる」事ができなかったんじゃないだろうか(それってすごく「マダラ」に似てる…)。だけど、それは「とてもじゃないが信じる事ができない」ような事をしてきた人間(忍)達にも問題があるような気はします。
 
 どうやらこの戦争は《親子問題のゴタゴタ》に端を発しているようですが、それは「カグヤとハゴロモ・ハムラ親子」の問題であり、「ハゴロモとインドラ・アシュラ親子」の問題でもあり、さらには「神と人間」の問題でもあるのだろうと…
 
《愚かで弱い人間たちを守りたい神》と、《神から自立したい子供達》…
 
だけど「親」である神は、人間たちが「与えられた力」を愚かで悲しい事にしか使わず、迷ってばかりいる姿に絶望し、その自立を認められないんじゃないだろうか。
 
「神」という「親」が用意した物語それが運命ってやつなのかな)に疑問を持ちながらも「諦め」ただ従うだけだった「忍達」。 今まではそこから「解放」されるには「死」しかなかったのかもしれないけど、これからは「生きて」自分たちの物語を創っていかないといけないのかもしれません。 《親離れ》するために…そしてこの世界を《ツクラレタ偽物の世界》ではなく《本物の世界にするために》。
 
黒ゼツは「反抗期が長いな…」なんて言ってましたが、反抗期って大切ですよね(笑) 反抗期、それは自立するための闘争…親に認めてもらうための闘い。
 
でもそれは「親をぶっ倒す」ことが目的ではなく、「自分たちでちゃんとやっていける」ことを親に「示す」ことが大切なんですよね。 だから、親に「信じてもらえる」だけのことを、子供達側もちゃんと「行動で示す」必要がある。それが「親離れ」って事でもある…。
 
そして、この戦争もそういう事じゃないだろうか…と思うんです。
《親(神)を封じてぶっ倒す》のではなく《親から授かった力を、いい方向に正しく使っていける》ことを子供達がちゃんと示す必要があると思うんです。
 
ナルトとサスケは、どうやらハゴロモから授かった術で「カグヤを封印」することを考えているようですが、それってどうなんだろ…。「子に封印された時のカグヤの悲しい顔」…「カグヤの涙」を思うとね…「封印」は親(神)からの愛情の「拒否」にしかならない気がするんです。
 「子離れできない親」ってのも問題アリだけど、「なぜ親は涙を流すのか」…その気持ちもちょっとだけ分かってあげてほしいな、と思う。
 
カグヤが「子供たちがチャクラを持つことを恐れた理由」…その「子供への不信」の理由には「ずっと争い続けてきた人間達の歴史」があるんじゃないかと思いますから…
 
カグヤでもあり十尾でもあり、神でもある「月」が、人間の愚行に涙した時…
 
小さな我愛羅が「母の愛情」を奪われ「愛」の文字を額に刻んだ夜、悲しく吠えた守鶴を見守る先には「満月」があり…
まだ幼いリンが悲しい死を遂げた夜、小さな十尾(オビト)とリンを見守る先には「満月」がありました。 あの時の「月の血の涙」も、「カグヤの涙」、十尾の涙だったのだと思います。
 
「自立」のためにもがく「反抗期真っ盛り」のナルト達には、まだ「親の心」を想うほどの余裕は無いかもしれない。 でも、カグヤのことを「敵」である以前に「六道の大じいちゃんの母ちゃん」と見る事ができるナルトなら… カグヤのことを「母」として見てあげられるナルトなら…出来るんじゃないだろうか。
そして…それが「本当の解決」に近づく一歩になるのではないか…とも思います。 
「カグヤの涙」の意味を、知ることが…
 
  
 
 そして黒ゼツとは…まさに地から生まれた「カグヤ(十尾)の涙」なのかな…。
 
封印されてしまった悲しい涙の「結晶」のような… だからカグヤ復活と共に「戻る」のだろうか…?
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/06/24)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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