ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTOの中の(不器用な)恋愛観  《なぜド根性忍伝よりイチャパラの方が売れたのか…という話に関連して》

NARUTOの中の(不器用な)恋愛観 《なぜド根性忍伝よりイチャパラの方が売れたのか…という話に関連して》 


18日夜、俳優の高倉健さんが亡くなったというニュースの中で「不器用ですから…」というCM映像が流れていて…ガマケンさんの「自分は不器用なもんで…」(41巻)を思い出しました。
 
  NARUTOの中でも数多くの『不器用な男達』が登場しますが、彼らは「自分の表現」やら「人との関わり」に於いてかなり『不器用』だったりする。
 高倉健さん演じる『不器用な男』に共感した人が多かったように…NARUTOに登場する『忍としては器用だが生き様は不器用』な忍達に共感する読者も多いんじゃないだろうか。 
  
 さて、今回はNARUTOにおける恋愛(というか男女の「関係」)について少々…とは思っているのですが、「誰と誰」がどうこう…というカップリングの話はあまり得意ではないので、ちょっと違う方向からの雑考かもしれません。いつもの如くちょっとズレてるかも…
  699話から700話までの「間」に、一体何があって、ああなったのか…気になるっちゃ気になるんですが、無限月読で見た「夢」が少なからず影響してるんでしょうか。 無限月読にかかって意外と「恋愛」関係の夢を見ている人が多かった気がするけど…夢の中で、彼らは自分の「本当の想い」に目覚めたって事もあるのかな。ま…そこは劇場版で明らかになるでしょうし、素直に待つとして…
 
  700話で気になったのは ほとんど「女子達の想いが叶った」形に落ち着いていた事なんです。それって、女性側から男性に告白して、積極的にアプローチした結果…って事だろうか。 そもそもNARUTO世界では、母ちゃん達がすごく強くって、精神面では男性をリードしている…そんな印象があるんです。

700話での「猪鹿蝶」たちを見ても、「まあまあ…」とサイになだめてもらっているイノとか…チョウジを抑え込みそうな勢いのカルイとか…女性の方が「強い」ですよね。 いのは、初対面の時(35巻)からサイの隣に座って愛想振りまいてみたり…最初から積極的にアピールしてましたっけ。
 そもそも「告白」に関しても、ヒナタもサクラもかなり積極的でしたよね。 戦闘中の、しかも相当厳しいピンチという状況で…彼女たちは自分の想いを必死に伝えていた…(そういえばリンもそうだったような)。 で…男達は、それを背中で聞いてるような感じだった。
 
 女性の積極的な告白に対して、逆に「男側からの積極的なアプローチ」っていうのは、殆ど見かけなかったような気がするんです。  自来也の「綱手への告白」は、フラれてぶっ飛ばされるのを「前提」としているようなところがあったし… ナルトは「約束も守れねぇ男が告白なんかできるかよ」と言って、結局サクラに告白することはなかったらしい(「700話まで」の間では)。   オビトも「カカシに並んでから」と思っていた節があり、結局リンに告白出来ずじまいだったし…
 堂々と「想いをアピール」していたのはミナトぐらいでしょうか…クシナをお姫様抱っこして赤面もののセリフを言ったり出来たのは…(しかも彼の告白は成功している)。 
 
 女性のほうが積極的に告白し、男側は積極的に告白出来ない…その心底にあるものをうまく語っていたと思うセリフが、自来也の…

「幸せなんてのは男が求めるもんじゃないのォ」。

これは、綱手「強くあるのが男の務めか?」という問いへの答えですが、自来也「男はフラれて強くなる」とも言っていて…綱手「何格好つけてやがる 女がいなけりゃフラれることも出来ねーくせに」と突っ込まれちゃうのです。
 
 厳しい忍世界の中で、理想と現実との狭間で苦しみ、己を認められない忍達は多かったから…それが《幸せなんてのは男が求めるもんじゃないのぉ》なんて想いに至り、ストイックに「堪え忍ぶこと」が自らに課す「贖罪」のようだった…。ナルトの「約束も守れねぇ男が…」という発想も、ちょっとそれに近いかな。  若い頃の鬼鮫も、暗号班の美女に声を掛けられた時に「私に親しくしないでください…」なんて言ってましたっけ。

 でも、そんな「堪え忍ぶ」姿は、女性から見たら《何格好つけてやがる…》なのかもしれません。 綱手「女がいなけりゃフラれることも出来ねーくせに」に、自来也「ハハ…確かに」としか返さなかった。
 
 「力」重視で、「力」が物を言う忍世界では、どうしても女性は守られる側になりがちで…忍世界は圧倒的に男性が優位な社会。  でも、女性たちは「格好つけてやがる」男性たちを優しく受け入れ、厳しく叱り、なんだかんだ言って引っ張っているように見えます。 そして、特に「言葉」においては、男性は女性に勝てない… 
夫婦喧嘩は圧倒的に女性が強い様子だし、綱手とマダラの舌戦も綱手に軍配が上がっていた(61巻)。

  結局、700話を見るとナルト達が選んだ相手は、自分達の「カッコ悪いところ」をちゃんと知った上で受け入れてくれた相手だったのかなぁ…なんて思います。 サクラは、どんな事があってもサスケを想い続けてくれたし‥ ヒナタは、ナルトが迷ったり躓きそうになった時に手本を示したり、ナルトの頬を叩いてくれた。

  700話の中で、そういった関係が端的に出ていたと思うのが キバでして…相変わらず彼は「強がり」を言ってますよね、自分から火影を降りたとか何とか…。こういう発言、ツメ母さんやハナ姉さんに聞かれたら「バカな事言ってるんじゃないよ!」なんて一蹴されてしまいそう。
 いつも「強い女性」に囲まれ子供扱いされてきたキバは、「認めて欲しい」願望が強く、誰かに「すごいね」と言って欲しかった…あるいは言って欲しかったと「思ってた」んじゃないかな。  ヒナタは、キバのそういう願望を見抜いていたのか、キバの「夢」もバカにせず「キバくん私はちゃんと聞いてるよ…火影は皆が目指すものだもんね」と優しくフォローしてくれていた。 だけど、ヒナタにそう言ってもらっても、キバは特に嬉しそうな反応をしたわけでもない…。 母ちゃん達みたいに「子供扱い」して相手にしてくれないのも嫌だし、かといって「同情的に言ってもらう」のも響かなかった…という事なのかもしれない。
 
 で…今回一緒に居る女性(仮にタマキさん)、彼女は…“赤丸の反応”を見ながらニコニコして「ふぅ~ん」と言っただけ。 キバは冷や汗タラタラになってますが…「嘘」だとバレてるのに、彼女があえてツッコんでこないことに…逆に自分が恥ずかしくなったんじゃないだろうか。
 たぶんこんな事を繰り返していくうちに、キバはもう彼女の前では「嘘や強がり」は言えなくなるだろうし…余計なカッコつけをせずに「本音」を見せられるようになるんじゃないのかな?  外では多少頑張ってでも格好つけなくっちゃならない…だから弱さやらカッコ悪さも丸ごと受け入れてくれる女性に「甘えたい」…そんな願望も忍達にはあるんじゃないだろうか…なんて思います。
 
 しかし、多少頑張ってでも「格好つける」のは、強がりもあるかもしれないけれど…そこは「譲れないもん」もあると思うんですよね。 自来也が言っていた《男はフラれて強くなる》…それも「格好つけ」だけじゃなく、「忍の生き様」そのものにも思える…。 どちらかというと「堪え忍ぶ(こらえる、我慢する)」よりも「耐え忍ぶ(続ける)」のほうの忍の生き様かな。ただ我慢して「堪える」だけではなく、色々とあっても一本の糸のようにしなやかに「耐えつつ」繋げていく‥《フラれて強くなる》は「耐え忍ぶ」忍の生き様に似ています。 
 忍としての「耐え忍ぶ」と、恋愛における「耐え忍ぶ(フラれて強くなる)」は似ている…

 『耐え忍ぶ』と言えば、自来也の代表作『ド根性忍伝』『イチャイチャシリーズ』…その両方とも『耐え忍ぶ』物語なんだろうと思うんですが… 『ド根性忍伝』のほうは、主人公の忍が「諦めないド根性」で忍世界の平和をつかみ取ろうとする物語…いわば“スポ根”ならぬ“忍根”小説。
 一方の『イチャイチャシリーズ』は、恋愛エロ小説…内容はハッキリ分からないものの…どうやら「男はフラれて強くなる物語」らしい自来也が「男はフラれて強くなる」と言いながらイチャイチャを取り出して見せたので)。 
  ま、どちらも自来也の生き様そのものですよね。忍としては、諦めないド根性で平和を掴み取ろうとし…恋愛ではフラれ続けぶっ飛ばされ続け…それでも諦めずに「歩いていく」。
 
で…2つの本のうち、どちらが「売れた」かといえば…圧倒的に「イチャイチャシリーズ」の方が売れたらしい。
 
「ド根性忍伝」の方は「まったく売れんかった」らしいんですよね(42巻の自来也発言から)…だけどその後執筆されたイチャイチャパラダイスは、シリーズ化されるほどの人気になったし、映画化までされているらしい(4巻126頁)。 ナルトが覗き見た自来也の通帳は「0がいっぱいだってばよ」だったらしいけど(17巻)、それはイチャイチャシリーズの収入と推測される…。 
 
つまり、圧倒的に世間は「イチャイチャシリーズ」の方を支持したという事です。  世間は“忍根”より“恋愛”を選んだ… それは「しょせん世の中エロ次第」という話だけではなく…忍達中心で動いている世界が、当は何を感じ何を望んでいたのか…何を「夢見たかったのか」という話に繋がると思うんです。

  ミナトやナルトが「ド根性忍伝」に素直に共感出来たのは、彼らは荒んだ忍世界にも希望をしっかりと持っていたからじゃないかと思うんですが、一般の忍達は、戦いの終わらない忍の世界に「希望」を見出すのは難しく…ド根性忍伝の主人公(ナルト)に素直に共感するのは難しかったんじゃないだろうか。 カカシでさえ、愛読書はド根性忍伝ではなく「イチャイチャシリーズ」の方だったわけですしねぇ…。 
  カカシも、イヤってほど忍世界の「地獄」を見てますから…ド根性忍伝の主人公よりも、恋愛世界で「諦めない」イチャイチャの主人公のほうに共感しやすかったのかもしれない。
 
 どちらも「幸せをつかみ取るために負けても失敗しても諦めない物語」というところは共通していて、 2つとも同じように“バイオレンスやタクティクス”を通して自来也らしい《耐え忍ぶ》精神が貫かれている物語だとしても… 読者たちは、戦場や忍社会を舞台とした やや生々しい「力」世界の物語よりも…日常を舞台とし、女性にフラれてはぶっ飛ばされたりという「愛」の物語を本音では「好んだ」…選ぶ人が多かったという事じゃないだろうか。

 失敗ばかりだったり、うまく想いを言動で表現できなかったり…それでも「カッコつけなくてはならない」不器用すぎる男達と、それを「何格好つけてやがる」「女がいなけりゃフラれることも出来ねーくせに」と思いながら引っ張っていく女達。
 戦いでも恋愛でも不器用なほどに格好つけてみたり、それでも不器用なほどに耐え忍んで大切な人を守ろうとする男性と…それをしなやかに受け入れ、紡いで手本を示しながら…耐え忍ぶ男性たちの姿に「夢」を重ねる女性… NARUTOに登場する男女は 、そんなふうに互いに支え頼り合っているように見えます。 
 
 人を愛するのに、確かに「理由」なんて要らない。だけど、愛するのにも「理由」を見つけようとしたり、告白するにも「条件」を自分に課したりしようとする…そんな忍達の不器用さに、心揺さぶられ共感してしまう…。 愛するのに理由は要らないのだろうけど、でもきっと互いに必要とする「理由」は何かあるんじゃないのかな。
 
 自来也は、イチャタクを「すっげーつまんねー」と言ったナルトに「あの面白さがガキに分かってたまるかっての」と言っていたけど、それはただ「エロ要素の面白さ」という事だけじゃなく…イチャイチャシリーズの「売れた理由(魅力)」には、忍達が本当に求めていた「何か」があり…それは、まだあの時のナルトには分からないものだったんじゃないか‥と思います。 
 18歳を超えたナルトなら…分かるだろうか、「耐え忍ぶ」愛情の物語の“深さ”が。
 
 
 
 
 
(って…イチャイチャは外伝小説化されないんだろうか…18禁でもいいので… 
NARUTO世界で支持された「恋愛の在り方」をぜひ知りたい…と思ってしまうのですがね)
 
 
 
「恋愛」雑考と言っても、ちょっとズレてて…すみません。    
自分、不器用なもんで…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/11/20)