ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 700+1:うちはサラダ 今週のジャンプ・ナルト外伝感想 その1 (WJ22/23合併号)


NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~        700+1:うちはサラダ(1)



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 ずらっと並ぶ、歴代火影の顔岩…七代目のナルトまで揃って、いやぁ~…実に壮観です。その眼下に広がるのは「整然とした」新しい木ノ葉の街並み… あの「ごちゃごちゃした」昔の木ノ葉も好きだったんですが、再建された街並みは道路も広く、整備されて区画も広めでスッキリしてる(災害対策的にはこのほうがいいかも)。 もっとも、個性的な家々が立ち並ぶ様子は、変わっていないかな…って…


 さて、お久しぶりです!!


 岸本先生の漫画をジャンプで読めるのも、こうして「毎週の感想」を書けるのも、久しぶりでワクワクしております。 正直言うと「子供世代のお話」ってどうなんだろと不安もあったんですが、あっという間にそんな不安も吹っ飛びました。岸本先生の創られるお話は、相変わらず面白いってばよ…じゃなかった、時代は「ってばさ」!


・油女先生の『なぜなら…』


「コレ…分かっているな」
「そう…今お前達の前でみせるには訳がある …なぜなら
「いよいよ週明けにはアカデミー卒業試験だからだ」って…

相変わらず、シノの「なぜなら」節は健在ですねぇ…。生徒達には、おそらく「適当に聞き流されている」と思われますが、意外とシノ流の《なぜなら=訳・理由へのこだわり方》は、これから重要になってくるんじゃないか…なんて思えた今回のストーリーでした。 一歩踏み込んだ「なぜなら」への探究心、それが今まで見えてなかったものが見えてくるキッカケになるのではないか…なんてね。

 で、油女先生の問いかけへの「反応」は生徒によってまちまちでして…「めんどくせー」だったり「受けてやってもいい」とか、「ぜってー忍者になってやる!」とか「やっと一人前になれんだね」とか…実に様々です。 そんな中でただ一人、油女先生の『分かっているな』にマジメに答えて考えていたのが、今回タイトルにもなっているうちはサラダでした。で、彼女の答えは…


…《分かんない》だった。



・サラダの『分かんない』

(分かんない …それに合格したからって何なの?)
(皆何になりたがってんの? 忍者…!?)
(忍者になったからって何!? そもそも忍者って何…?)
(何かもう〝忍者〟って響き?…ダサイ…)

 いや、よくそこまで深く考えると感心しちゃいましたが、そこは「サスケ」にそっくりですね。 一方で「よっしゃー!ぜってー忍者になってやる!」と叫んでいるのは(たぶん)ボルトだと思うんですが、これまたオヤジの「ナルト」にそっくり。 

 実際に、かつて「ナルトとサスケ」も似たような「お題」を与えられた時、似たような「反応」をしているんです。 で…その当時は、それはどうってことない「ちょっとした違い」にしか思えなかったんですが、それが結果として二人の道を大きく分ける事になってしまったんですよね…(※詳細は後述)。
 特にサスケは難しく考えすぎて、面倒な方向に向かった事もあったと思いますが、サラダはどうなんだろう… サラダの《分かんない》《知らない》は、彼女を不安に陥れているようだけど、それは真実や答えに辿り着くための大切なきっかけにもなるんじゃないだろうかと思っています。 だって、ほら例のアレ…大蛇丸の名言、あの通りだと思うから…

「アナタ…知りたいことがどんどん増えるわね…それはいいことよ」
「人は“知りたい”という欲望から逃れられない…」 
NARUTO-ナルト- 584話から)


(※幼い頃の『ナルトとサスケのちょっとした反応の違い』の話ですが、第4巻再不斬戦後に『忍とは何なのか?』『忍とは国の為の道具なのか?』という難題に見せた、2人のちょっとだけ違う反応…実はそれが2人の道を分ける兆しだった(と私は思ってます)。 
 サスケはその場で「自分なりの考え」を述べる事はせず、カカシにどう思うのか尋ねただけなのですが、今回のサラダのように『忍者とはそもそも何なのか』とあれこれと考えていたんじゃないだろうか。 で…散々考え続けたサスケがその答えを出したのは、結局数年後の699話…物語の一番「ラスト」でした。 
 一方のナルトは当時「オレってばそれやだ!!」「よし今決めたってばよ!オレはオレの忍道を行ってやる!」と即断即決で(漠然とはしてるけど)、結局それをラストまで貫いたのです。 まだ物語の最初の部分、第4巻のまさかあんな小さな(読み落としそうな)部分に「種」を蒔いておいて…それが物語の「ラスト」まで活かされるなんて…改めてキッシーの「見えざる神の手」っぷりに驚かされます(って、読者が何で上から目線…)。 


・サラダの『そんなの知らない』

 アカデミー帰りの、チョウチョウ(チョウジとカルイの娘)とサラダの会話なんですが…はて、背景に見える街並みもちょっと変わったでしょうか。 今まで「おだんご屋(甘味処)」しかないのかと思っていましたが、「喫茶」の看板にコーヒーカップの絵…ス○バ空白地帯だった木ノ葉にもついに…いや、ついにカフェ登場かな(前からあったっけ?)。他国との交流も増えて外資系も参入だろうし、美味しいモンも増えて、そりゃアンコ先生もポッチャリになるってもんですな…ってそれはさておき。

 さて、「忍者とは何か」なんて悩んでいたサラダですが、どうやら彼女は「全てに於いて」深く考えるタイプのようですね。 チョウチョウに「そりゃサラダはあのうちは一族だからァ~余裕なんでしょーけどもォ~!」なんて言われて、サラダは「それ皆言うけど 私そんなの知らないし…」と困った顔で答えていた…

 いまだに「あの」うちは一族とか、「うちは一族=エリート」の公式は健在なんですね。 でもサラダには《うちは=だから=エリート》というのは、チョウチョウが言ってる《修業なんてクソ食らえ=だから=これからあんみつ食べに行く》並みの「こじつけ」に思えてしまうのかもしれない。 背中に一応「うちは」の家紋を背負っているものの、サラダは「うちは」の実態も「父」の実体も知らないのだから…

 って、このあとサラダは「物心がついた頃から父親に会ってない」という驚愕の事実が明かされるのです。 

 サスケは十年ぐらい(あるいはそれ以上)里に戻っていないって事なんだろうか…生きているなら、戻ろうと思えばちょっとだけでも戻れるだろうに…いったいサスケは何をしているんだろう。 思った以上にサラダは「全然父親(サスケ)の事を知らない」し、知らされてもいない…。 
 サラダにとって《うちは》といえば《パパ》なんだけど、《そんなの知らない》…しかも、ただの《知らない》じゃなくって《そんなの》付けちゃってますもんね。
それは、ボルトがオヤジ(ナルト)に《クソ》を付けて《クソオヤジ》と呼ぶ気持ちと、ちょっと共通しているでしょうか…「近いのに遠い」…そして「慕ってるのに腹が立つ」。


・「上から目線」

 さて、ここからさらに「親子」の問題になってきますが…うーん、今週の話は「ターゲット層」のみならず、是非とも「親世代」の方達にも読んでいただきたい!と思える内容です。「チョウジとチョウチョウ父娘」も、ごくありがちな「父と娘」のパターンに思えるのですが…

 「パパとの修業」を嫌がるチョウチョウに、サラダがサラッと「修行に行った方がいい」と言った事が、どうやらチョウチョウの心を傷付けてしまったようで…チョウチョウは「なにその上から目線!ちょっとカチン来ちゃったよあちしィ!」とムスッとしてしまった… (チョウチョウ自身、この少し前に いのじん(いのとサイの息子)に「受験者が何で上から目線…」と指摘されてるんですがね)。 
 
 チョウチョウにとって「上から目線」とは、「人の気持ちを考えない、ひとりよがりな押し付け」ってところでしょうか。
  
 もっとも、サラダはサラダで「せっかくさ…パパと…」って言いかけておりまして(このセリフはせつない)、それはサラダだからこそ分かる「パパと一緒に居られる幸せ」… 他の人には見えていない「大切なモノ」が、サラダには見えてるんですよね(かつてサスケが「イタチ兄さんと一緒の時間を過ごす為」に修行しようと誘っていたのを思い出します)。
 だけど、チョウチョウもサラダの言葉に《上から目線》を感じてしまうほど、それなりの悩みはあるようで…

(ガルB「うす塩味」ポテチを持ったチョウジが、大声でチョウチョウを嬉しそうに呼ぶ姿に、チョウチョウは「ったく、はずい!!」「人前でぶってんなよ」とバッサリ)。

…ま、父親に対して『生理的な嫌悪感』を抱くお年頃ってのもあるでしょうが、どうやら「それだけ」じゃなさそうです。 チョウチョウが『ハズい』と思った理由は「大人がポテチを食べながら歩いている」ことではなく、『本当は「コンソメ派」のくせに「うす塩味」を持ってきたこと』だったという点…これはちょっと「分かりづらくて意外」でもあり、「なるほどと納得」でもありました。    

 どうやら、これには「秋道一族ならではの発想」もあるようでして…チョウチョウが「どーも合わないのよね、あちしたち」と言った事から判断すると、本当は「チョウジは絶対にコンソメ派」であって、「チョウチョウはうす塩味派」。 で、“食”に関しては「誰であろうと譲らない」のが秋道一族なわけでして(最後のひと口に関するこだわりとかね)、普段の「家でのチョウジ」は(おそらく)絶対に「コンソメ派」を譲らない(と思われる)。 なのに…そのチョウジが「うす塩味を持ってきた」…という事は…

 おそらく“良きパパ”であろうとして、自分を曲げてでもチョウチョウに合わせ、《同じ目線》にしたつもりなんだろうけど…そうやって「人前に限って理解のある父親ぶって、仲良しアピールした」ことが、逆に「人前でぶってんなよコンソメ派のくせしやがって!」(こ、こえ~…)とまでチョウチョウを怒らせてしまったんじゃないだろうか(このキツイ喋り方は、カルイそっくりだなぁ…)。 
 
 ま、「人前で態度を変えた」というよりも…「修行嫌いなチョウチョウを好きなポテチで釣って修行につれ出す為」だったのか、それとも「娘との修業が嬉しくって、ついはしゃいでしまった」ってのが真相な気もしますが、いずれにせよ「人前でいい顔しようとする大人」に対して、子供はかなりイラッとくるもんなんですよね。
そういう無理なカッコつけを人前でされちゃうと、余計にみっともなくて「ハズい」…そうじゃなくっても「パパと一緒」に居るだけでハズいと思うお年頃だって言うのに…。

 そういうちょっとだけズレた、娘の気持ちが分からない押しつけがましさ…まさにそれが「上から目線」なのかもしれません。でも、何だかなぁ…こういうのって「父親あるある」…『サイといのじん』の間にも、どうやら似たようなことがあるようで…



・「大人げない」

(ボルト相手に「多重影分身」の印を結ぼうとするナルトに、「それは大人げないんじゃないかな」というサイ。 だけど、いのじんが「忍法・超獣偽画」で出した可愛い獣と自分が描いた立派な獣と比較して「大人げないのはボクの方かな?」なんて言って、いのじんに「何かっこつけてんの父さん…(父さんの絵センス古いんだよな)」なんてツッコまれてる。 もっとも、優しそうないのじんは「センス古い」なんて声に出して言っていないのだけど…)

 ボルト相手に本気の「多重影分身」まで繰り出そうとするナルト、いのじん相手に本気の「忍法・超獣偽画」を出したサイ… (ボルトも影分身使えるんですね)。
 ナルトの場合は《大人げない》というよりも、ボルトの相手に必死だったような気もしますが、サイは多少なりとも「かっこつけてた」んじゃないかな…。

 サイの家では、おそらく「いの母さん」が強いのだろうし(700話では「ブチ切れた」いのをサイがなだめる図があった)、それに名門「山中一族」の婿養子的な立場(なのか?)から離れて、たまには「サイ自身の術」を息子に伝えたいっていうね…サイの気持ちも分らないではない(700話では、いのじんは「山中一族」としての修行をさせられようとしていた)。 
 でも、いのじんの「何かっこつけてんの父さん」というセリフと「やや呆れたような表情」から察するに、家での父さんは「こんなにカッコつける事は無い」らしい(いの母さんの尻に敷かれっぱなしなのかもしれない)…その不自然なはりきり方が息子にとっては不自然でぎこちなく、痛くさえ感じるんじゃないだろうか。

 本人はそんなつもりはないのだろうけど「人前でぶってる」父さん達…気付かないうちに「ちょっと時代遅れになってしまってる」父さん達に対して、ボルト世代は手厳しい。「古い」「はずい」と、ホント容赦ない…けど鋭い(笑)  
 「合わせたつもり」がズレちゃって、いつのまにか「上から目線」になっているらしい、ナルト世代“父ちゃんズ”… 息子達の気持ちも分かるけど、父ちゃんズの想いも何だかわかる。 《父と子》の想いが食い違い、噛み合わないのはなぜなんだろう…? 


(「その2」に続ける予定です…)














☆その前にちょっとだけ…

☆先日アップした記事「シカマルの結婚願望」で、「家の中と外では違う」父親像のことなども書いたのですが、なんとなく今回と話題が重なるような気がしたもので…もしよろしければ⇒※ここから飛雷神


☆昨日、知人が「twitterでこんなのあがってたよ」と見せてくれちゃった《カカシ先生の素顔》…アレ本物だったのかな;NARUTO展入場者特典である「風の書」に載っているらしい。ホントに出しちゃったのね、岸本先生;
知りたい方はぜひ会場へ… 自分も近いうちにNARUTO展に行きたいと思ってます。