ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 700+4:邂逅(2) 今週のジャンプ・ナルト外伝感想  (WJ26号)

NARUTO 外伝 700+4 邂逅(2)

 いやぁ~…今週も怒涛の展開でした。 短期連載だからか濃密に話が展開していく…そういや「カカシ外伝」も伏線の宝庫で濃厚な物語だったけど、岸本先生にはこれからも「外伝」をいっぱい書いてほしい…なんて…いや、それより《BORUTOを長期連載していただきたい》気持ちでいっぱいです(先生、早く本格的に「復帰」して…)。 とにかく今週も、濃く、熱く、面白い。


・さて、あの写輪眼の少年「うちはシン」…

《ギギギ…》と思いっきり眉間に力を溜めて、両目ともに《スゥ…》と万華鏡写輪眼に。 い、いきなりですか…

イメージ 1
 
(シンの万華鏡写輪眼
●と▲を合わせたみたいな形。
ちょっと◉(仮称「鷹の眼」)に近いような気もするのだが…

 彼は瞳力で武器を飛ばし自在に操って攻撃する…(挿し木の術的な飛ばし方)。
ナルトは、それを「九喇嘛チャクラの手」で抑え込むのですが…

…って、九喇嘛…お久しぶりですな! 

 あれから十数年…そういや他の尾獣達はどうしているんだろうか。それぞれ故郷の山や森に帰ったのだろうけれど、今も無事でいるんだろうか。

 ナルトは《ゴゴゴ…》と慣れた感じで九喇嘛チャクラをコントロールし、「万華鏡」なら(たとえガキでも)手抜きはできねーとは言いながらも、ちゃんと手加減してますね。
だけど、「拘束させてもらう」とか「色々聞きてーことがあっからよ」とも言ってるから、サスケが任務に出ている「電波も届かない辺境の地」あたりでは既に色々と起きているらしいですね。 そして、それらは「写輪眼」と結びつくような事であり、この十数年サスケが「気になって」調査していた事とも絡んでいるのかもしれません。それにこの後、サラダの「あいつら何者なんですか?何でアタシが…」の言葉に、ナルトは「……」と一瞬考えるような表情をしていた。イヤな予感がしているのだろうか…写輪眼関連で、不安な何かが起き始めているんじゃないだろうか。

 第四次忍界大戦から十数年…長い時を経て「何かが」また動き出したのでしょうか。まるで「九尾事件」から十数年の沈黙後に「再び何かが動き出した」のと同じように…

 ところで「ナルトと九喇嘛」の会話部分なんですが…

「!?」 (シン、尾獣チャクラを見て驚く)

『ナルト…久しぶりに暴れるのか?』 (九喇嘛)
「ほんの軽くな!」 (ナルト)

 (シンは、ナルトの速攻をかわし鳥居の上に逃げ、そこにあの「チビ十尾(仮称)」みたいなのがやって来て、シンに退くように伝えるのですが)… 

 ナルトの「ほんの軽くな!」ですが、ナルトの横にいるサラダとチョウチョウには、このセリフは「誰に話し掛けた言葉か分からなかった」ハズ(彼女達には、ナルトの精神世界にいる「九喇嘛の声」は聞こえていないから)。 読者は、いつも当たり前のように「ナルトの中の九喇嘛の声」を聞いたり「ナルトの中の九喇嘛の姿」を見ていますが、これはあくまで「読者特典」。 他の登場人物達には「ナルトの中の尾獣」は見えないし聞こえない。 だから、突然「九喇嘛のチャクラ」を見るとシンみたいに驚くし、ナルトと九喇嘛の会話も「分からない」。

 「何を今さら」な話ではありますが、シンの様子を見ていると、彼の「中」でも同じような事が起きてるんじゃないか…と思うんです。 というのは、シンの「目の動き」を見ると…
 まずは「眼下のナルト」を……」と見つめた後、次は「右下にいるチビ十尾」を見つめ… と、ここまでは自然な感じなのですが、その次は「誰もいない左横」をジッと見つめて「……」になっているのです。 その絵は「何かを見ている」というよりも、「ジッと何かに意識を集中している」感じ…(に見える)。

この前、シンは“父様の命令”を「絶対」と言ってましたから、シンがこうやってどこかに意識を集中させている時は、「内なる声」の指示を聞いているのではないか…とも思うんです。 つまり、シンの精神世界の中に居る「父様のチャクラ」の声に耳を傾け、指示を聞いているんじゃないだろうか…? ナルトが、ナルトの中の「九喇嘛(のチャクラ)の声」を時々聞いているように…。


・そして、前回に続いて登場の「チビ十尾」。

 手のひらサイズで、見た目はなかなかのブサカワですが、でも言ってる事は全然カワイくない…「いったん退くぞシン こいつはお前だけでは相手にできん」ですからねぇ…。言ってる内容や言葉遣いから判断して、この「チビ十尾」と「フード男」はやっぱり「同一」と考えていいんじゃないでしょうか。  
 先週(ジャンプ)220頁のチビ十尾の「カワイイ後ろ姿」と、221頁のフード男の「カワイくない後ろ姿」が全く同じ姿勢で描かれていた》のは、やはり無意味な描写ではなかったらしい…。

 そして注目したいのは、シンの万華鏡写輪眼とチビ十尾の万華鏡写輪眼が「同一模様」で一致しているという事… おそらくフード男の万華鏡写輪眼も同一模様なのでしょうが、これはこの三者の目に宿るチャクラが「同一」であることを示しております(この辺りは先週説明済み…でしたっけ)。 

 「眼はチャクラを映す鏡のようなもの」…ナルトの「キツネ目」や「カエル目」もその例で、ナルトに自然エネルギーが充ちれば「カエル目」になるし、九喇嘛のチャクラが溢れだすと「キツネ目」に変化する(今のナルトは、両方の「十字眼」ですね)。
 写輪眼も同じ事で、チャクラが眼に変化を生み出す… 万華鏡は各自のチャクラを反映してそれぞれの紋様になるのだろうし、兄弟の眼を移植してチャクラが混ざれば混合型の(永遠の万華鏡)紋様になる。

 さらに、他者のチャクラが体に宿る事で、精神世界内で「こっそり会話」することも可能になる… 

 例としては「九喇嘛とナルト」「八つっあんとキラービー」、人柱力じゃなくても「オビトのチャクラが入ったカカシ」は、精神世界の中で「オビトと会話」する事さえ可能になった(71~72巻)。
 場合によっては、人格やセリフさえ「器(体)」の人物と「入り込んだチャクラ」がシフトチェンジして入れ替わることだって可能となる(九喇嘛とナルト、八つっあんとビーが入れ替わって「表」に出て喋ったり、自分の意志で体を動かして行動することがあるように)。 だけど、その「シフトチェンジ」や「精神世界内での会話」は、外から見たんじゃ分らない(第三者には分からない)… その例が、冒頭前述の「九喇嘛のセリフはチョウチョウとサラダには聞こえない(分からない)」ってやつです。

 つまりどういう事だってばよ…というと、あのチビ十尾が見たものをフード男とシンが視野共有していたという事は、彼らは同一のチャクラを共有しており、フード男はシンの精神世界でも会話でき、チビ十尾を通して語ることも可能…という事です。シンは、常にそうやって「父様の命令通り」に動いている可能性がある…

 《チャクラってのは2つの世界を繋げる力だ》とはオビトの言葉ですが、カカシとオビトの間で時折起こった「視野共有」は、二人の眼が「オビトのチャクラ」で繋がっていたから起きた現象だろうし、「あの世に行きかけていた」オビトのチャクラでさえ、カカシの中に入ることが出来た(これは「神威」のおかげでもありますが)。 それに、ナルトの中には全ての尾獣チャクラが少しずつ入っているから、ナルトの中は「寄合所」としての機能もあるとハゴロモが言ってましたっけ。 尾獣同士がナルトの中で「会話、話し合いが出来る」と…ナルトの精神世界は、さぞかしにぎやかでしょうな…)。これはまさに、ハゴロモが望んだ形の「尾獣達が1つに繋がる方法」。  山中一族の「心伝身の術」も《チャクラで繋げる》システムを応用した術ではないかとも思うのですが…。

NARUTOの後半で集中的に描かれた、一連の「チャクラ共有による繋がる現象」の描写は、「意味のある強調」と捉えていいのではないだろうか(キッシーは無意味な描写はなさらない方でのぉ…)

(そしてチビ十尾は「万華鏡の時空間忍術系瞳術」でシンを異空間に引きずり込んで退くのですが)… 《ズズズッ》と渦巻いて…って…

これ…「神威」っぽいですな…。

 同じ時空間忍術でもそれぞれ個性(特徴)があり、「飛雷神」は《フッ》と一瞬で消えるし、カグヤの使う時空間忍術は四角く空間を切り取って《スーッ》と出入りするような術。 そして神威は《ズズズズズッ》と渦を巻くようにして一点に引き込む瞳術です。  しかも今回チビ十尾が使ったのは「万華鏡の瞳術」ですから、ほぼ「神威」で当確じゃないかと考えます。

 で、「神威」はなにも「オビト専用瞳術」ではないだろうし、他にも神威ユーザーが居た可能性もあります。 その件については、以前(62巻)カカシが「本来神威を止められるなんて聞いた事もない」という表現で語った事から、「過去にも神威ユーザーが居た可能性」ってのを考えたことがあるんです(当時の感想で)。 それに、先週の雑考(NARUTO世界に残る謎2)でも触れたように、シスイの「瞬身」についてもまだ語られておらず、それが万華鏡の瞳術だった可能性も残っています。 
 ただし、今回「退くぞ」と言ってシンを引き込んだのはチビ十尾であって(フード男が操作したのでしょうけど)、シンが自分で使ったわけではない…(この前は「瞬身」で姿を消していたっけ)。

(「社」の鳥居の上で、チビ十尾が使う「神威」風な術で、異空間に消えた『シン』)

 …何だかなぁ…ますます「神がかってきた」というか… そして、ナルト達の世界で「神」といえば、「全ての祖」「国造りの神」である十尾の可能性も高いと思います。 

 そもそも「神威」「飛雷神」など時空間忍術は「神」の名を冠する事から、「時空間とは本来、神のテリトリーではないか」と今まで考えてまいりました。「神威」などまさに「神の威力」… 今回、なぜ彼らが「神威(らしき術)」を使えたのかが、すっごく気になります。それに「時空間」も、まだまだ謎だらけ…本来コレも人間の領域ではないんじゃないだろうか。

 しかし「別天神」も「神」の名がつくし、香燐の「神楽心眼」、小南の「神の紙者の術」など「神」を冠する術は他にもありますな… そもそも、術を生み出す「チャクラ」というものが、本来は「神の力」ですもんね。

 で、まだ正体の分からぬ「本体」ですが、もしその存在が「全ての祖」なのだとしたら… その眼はもしかしたら「ほぼ全能」の可能性もあるんじゃないだろうか。「神威」だけではなく「ほぼ全ての万華鏡瞳術」を使う可能性もあるのでは…と思ったりします(「可能性が無いわけではない」というレベルですが)。  
 そのあたりは「残された謎その3」とも関わってくる話題なので、また後日にまとめてみようかと思っておりますが…
 
 で… 重苦しい空気を明るくしてくれる、チョウチョウの数々の「乙女な発言」…相変わらず、彼女は笑わせてくれますね。

・子供目線

 しかし、どうやらチョウチョウは「ただのデ…」いや、ただの「悲劇のヒロイン症候群」では無さそうですな… 彼女の一見「症状」と思われる言葉の数々には、なかなか鋭い感受性ってもんを感じます。 
 たとえば、(ナルトが本当のパパであるという話も)可能性が無い訳ではないという事よ!」とか「それがまだ確かじゃないから旅を続けようと思った」と言ってるところ… もはや「乙女っぽい」というより「学者」の発言のようでもあります。  

 チョウチョウは「自分はパパとママの子じゃないかもしれない」と疑っているらしいけれど、本当はもっと違う意味での何か… 例えばナルトの姿には「里の父」を感じたのかもしれないし、それと似たような感覚で「父のような存在」が「血の繋がった実の父」以外にも居る可能性を勘で感じたのかもしれません。 あるいは「うずまき」というアシュラ系の血を濃く受け継ぐ一族に、自分の「祖」を見出したのかもしれないし…ただしそれが「まだ確かじゃない」から、それを知りたくて旅をしようと思ったのかも。 彼女、なかなかの「探究心」の持ち主かもしれない。
 
 自分の「源流」を知る旅だとしたら、確かに「この旅はあちしのパパを捜す旅」「探す」んじゃなくて「捜す」旅になる(久しぶりに「漢字の使い分け」にこだわってみる)。
 「さがす」と言っても、「場所が分からない」ニュアンスを感じる「探す」と、「正体が見えない」ニュアンスの「捜す」… チョウチョウがしようとしてるのは「捜す」ほうなんですね。 「さがす」と聞いて、ナルトは(チョウジの奴どっか行ったのかな)と考えているけど、それは「探す」のほう。 
「チョウチョウの父親はチョウジ」、「ボルトの父親はナルト」…それは「当たり前」であって「それ以上でもそれ以下でもない」…それがオトナの考え方。 

 大人は、「当たり前」の事に関しては、極端に「知りたい願望」を失ってしまう。だけど、子供は違う…子供にとって「大人の考える常識」や「当たり前」はクソ食らえであって、彼らは自由な発想でこの世界の事象を見て捉えることが出来る… 
 だから、子供の突拍子もなくすっ飛んだ発言を「くだらない」とか「子供っぽい」で済ませてしまうのは、もったいないような気がする。 時には「子供目線」、「子供にしか見えない何か」に教えてもらう事もあるんじゃないだろうか…?
 
 チョウチョウが感じているような疑問《本当の親とも言える存在が、どこかに居る可能性》…それをマジメに考える大人なんて「いない」かもしれない。「本当の親子じゃないかも」なんて言い出すと、「隠し子?」なんて方向に話が向かいがちだけど…でも「そういう事じゃあない」のだと思います。もっともっと本質的な問題をチョウチョウは「まだ確かじゃないが感じ取っている」のではないだろうか…子供ならではの感性で。

 
そして…

「サラダのパパってどんな人? あちし一度も見たことないんだけど」というチョウチョウに、(説明は)……できないよ」「覚えてないもん」と答えに窮するサラダ。
 チョウチョウは、サスケを『見た事が無い』から、「どんな人」なのか分からないし…サラダも、サスケを『覚えてない』から、「どんな人」なのか説明できない。
 人間ってのは、「見たことない」とか「覚えてない」と、身近な存在の事であっても「想像もできないし説明する事も出来ない」…そして「自分がそれと似ているのか」も分からない。 人は、己の認識や知識の枠にとらわれ、目に見えるモノに縛られてしまう…(またイタチの例の言葉を思い出す)。

 チョウチョウの「どこかに居るかも誰だかも分からない“親”を捜す旅」と…
サラダの「親に会っていろいろ確かめて、愛を届けたい旅」…
彼女らの“子供目線”は、もしかしたら“大人の上から目線”では見えなくなってしまったモノも、見つけてくれる「かも」しれない…なんて期待しちゃいます。

 ナルトは、これから起こるであろうことにサラダが巻き込まれる事を心配し…「オレが」守ってやると決意してた。 だけど、案外「子供」達が解決のヒントを与えてくれるんじゃないだろうか… ナルトが彼女らと一緒に行くのは「守る」ためだけど、彼女らに教えられることも多いかもしれない。


・「続」お弁当という愛…

 サラダがスッと差し出した「ボルトからのお弁当」に、ナルトは「………」と懐かしそうに「鈴取り合戦のあの日」を思い出している…(サスケとサクラがお弁当をスッと差し出して分けてくれた時の、あの気持ちを)…
 
 あの時(第2巻)、ナルトは後ろ向きだったから「どんな顔をしていたのか」分からなかったのですが、実は(今回の回想のような)こんな顔をしていたんですね…《へへへ……ありがと……》って、照れたような笑顔。 本当は、泣きたいぐらい嬉しかったんだろうけど、嬉しすぎてどう反応していいのか分からなくて、「こみあげる喜び」を照れ笑いで抑えるような、はにかんだ顔…。 あの時、カカシは「お弁当を分かち合うこと」をチームワークと言って、分け合ったナルト達を「忍者」として認めてくれたっけ… 分かち合う事は、仲間を「繋げる」力…

「へへ…… ありがと… すまねーな」とあの時と同じような笑顔で答えたナルトは、サラダ、チョウチョウとお弁当を「分けっこ」して、手を合わせてちゃんとご馳走さまをしてる… 「お弁当を作ってくれた」ヒナタへの「ありがとう」を心の中で言ってるのかな。 ナルトは、「お弁当を作ってくれた人へのありがとうの想い」ってのを、結婚して初めて「知った」かもしれない…

 《ヒナタ母ちゃんが作ってくれた「お弁当」は、ボルト、サラダとリレーのように「受け継がれ」、受け取ったナルト達はお弁当を「分かち合う」…そしてそれを仲間を「繋げる」力にする。 そして手を合わせ、作ってくれた人に感謝する…》 

 で…先週に引き続き、これの「お弁当」という言葉を「チャクラ」に置き換えて考えてみますと… (どちらも「親の愛情」だから)…今回もピッタリ置き換えて言うことが出来ます。 
 
 《神樹から忍達に与えられた「チャクラ」は、子々孫々リレーのように「受け継がれ」、忍達はチャクラを「分かち合う」…そしてそれを仲間を「繋げる」力にする。》 

…チャクラも前述のように「繋げる力」。だからピッタリ置き換えることが出来るんです。 だけど1つだけ、当てはまらないことがあります…それは《手を合わせ、作ってくれた人に感謝する》の部分…これは「無い」。 
 誰も「チャクラの作り手(祖、親)」に「ありがとう」の気持ちを持っていない…自然の恵みやチャクラは「当たり前」になりすぎて、「感謝」なんて考えてもいない。 またまた603話の白ゼツのセリフ「そのおかげで君も飲まず食わずで生きてられるんだよ 逆にありがとうって感謝してほしいくらいだよ」を思い出してしまう… 時々、私は「祖」である十尾がちょっとかわいそうだと思ってしまうんですよね…。

・「似てる」と「似てない」

で…ナルトの「サスケ」についての説明が面白すぎ。

「アカデミーでくノ一にもてまくってた …オレと同じでな」
「そしてかなりのイケメンだった …オレと同じでな」って…え?

…ま、楽しそうに語ってますな…時折「冗談を織り交ぜつつ」。だけど…
「さらにアカデミーで忍術の成績は断トツトップ…オレと同じでな」には、すかさずチョウチョウの「トップって1人でしょ?おかしくない?」の鋭いツッコミが。彼女、やっぱり「鋭い」…(でも、それを聞くサラダが…もの凄く嬉しそうだから、細かい事は気にしない!) 

そりゃそうですよね、やっぱりパパをほめてもらったら、子供は「嬉しい」。
だけど…「そんかし あいそが悪く独りよがりで口が悪かった …オレとまったく違ってな」には、サラダはズーンと沈んでしまった…。
そりゃそうですよね、やっぱりパパの事をあれこれ言われちゃったら、子供は「悲しい」…誰であっても。

 ナルトは、サスケの「カッコいいところ」を「オレと同じでな(似てる)」と言い、サスケの「カッコ悪いところ」は「オレと全く違う」って言ってるけど(相変わらず、こんなとこにも「ライバル意識」が)…
 でも、そうやってナルトは相手の中に「自分と似た部分」を見つけては「繋がり」を作ってきたし…そして相手との「違い」を認める事で、さらに「繋がり」を強くしてきた…

「サラダ… さっきお前見ててすっげー昔のサスケとサクラちゃんを思い出しちまった」
「サスケはメガネをかけてねーけどお前にそっくりだってばよ 特に目元なんかよ…… 写輪眼になったら余計そうだろよ」
「でもどことなく雰囲気はサクラちゃんに似てるしな… キレた時が怖そうなところもな」

(サラダ、今度はとびきりの笑顔でニッコリ)

 親に似てる…って嬉しいもんなんですね。「パパとママに似てる」…それは自分が「パパとママの愛の結晶」であって自分が「望まれて生まれてきた存在」だって実感できるから…なのかな。 親子に限らず「お互い似てる」という自覚は、二者を「繋いで」きましたもんね。 
 だけど、チョウチョウに「顔はカルイそっくりだけど、体形は昔のチョウジにそっくりだってばよ!」なんて語ってるナルト… う~ん、相変わらず「キラキラ乙女心」は理解していないようで…(28巻参照)。 まったく悪気はないってのは分かってるんだけど(笑) 


・父親の存在感

(何だろう… 七代目と一緒にいると すごく安心する…!)
(サラダ)
 
 一緒にいるとすごく安心できるのがお父さん… 「強くてカッコいい」事よりも、《何となく》ホッとできる…そういう「子供が安心して居られる場所」がお父さんなのかな。  「お前は何も心配する事はねェ…オレが守ってやるし解決してやるからよ!」と《トン》と頭に手を乗せてくれたように…「そう言ってくれる」存在、そして「手の温もり」…それが、「サラダがずっと捜していたもの」なのかもしれないですね(ナルト、本当に「里の父」になったな…)。    

「父親=七代目みたいな感じ」というイメージと、七代目から聞いた「パパ情報」をもとにサラダがイメージした《私のパパ》像は、(ジャンプ)229頁でサラダが想像している「ちょっとガッシリしてて、サラダをしっかり受け止めてくれるようなナルト風のパパ」… んん、実物のサスケとはちょっとイメージ違うかな…

 (でも、サラダは《優しくて温かいパパ》に早く会いたくて会いたくて、休憩する時間も惜しくて座ろうともせず、七代目よりも「早く」先へ先へと急ぎ、遂に待ちきれず、一人で先に行ってしまう…) 

 サラダの「パパへの想い」に、読んでて…思わず、こっちも涙。たまらん…サラダと一緒に泣けてしまった。 早く、早く、パパに会わせてあげて…って。 
 おそらく、今まで「ママの事を気遣って」あまり口には出さなかったであろう《パパに会いたい》想い。 でも今は、どうしょうもないぐらい膨れ上がり、パパへの「愛」はもう抑えられなくなって…ついに…サラダは…

「写輪眼」開眼(1つ勾玉)…!

 やっぱり「写輪眼の開眼」は「憎しみ」ではなく「愛情」に目覚める事がキッカケで確定…でしょう。
 
 今回のサラダの例は「極めて分かりやすい例」ですが、彼女以外の人達も結局はそうだったんじゃないかと思っています。 オビトの開眼も比較的分かりやすい例でしたが(仲間を守りたいと思った時だった)、サスケも「全てを失ったことで、両親、兄への自分の想い、愛を思い知ったから」だったのだろうし…マダラも「何があっても弟を守りたい愛情、断ち切り難い柱間への友情」に目覚めたからだったんだろう…と思います。

(待ち合わせの塔で、突然サラダの前に現れた『パパ』… 涙が溢れ、感動で震えるサラダが発した「パパ」の言葉を上から消すように、サスケは「よくここが分かったな…」「…」「奴の仲間か…!?」と刀を突き付ける)

「え!?」 (戸惑うサラダ)

…こっちも「え!?」と一瞬ドッキリさせられましたが、ま…「事情」があるのでしょう(きっと)。サラダの後ろに何かがいるとか…とか… ま、次週を楽しみにしましょう。
 しかしサスケの口から「奴の仲間」という言葉が出たって事は、シン以外にも「写輪眼の輩」がどこかに出現しているの「かも」しれませんね。 チビ十尾が「お前(シン)だけでは(ナルトは)相手にできん」と言っていた事からも、「奴の仲間」と思われる「複数の存在(あるいは写輪眼の輩達)」が暗躍してるのかもしれない… 

 フード男の首元から“暁”模様の服が見えていた事もあるし、新たな組織、新“暁”が再び始動しているの「かも」しれないし… なんだか歴史は繰り返しているような気もしないではない… 「弥彦に“暁”を立ち上げさせたのはオレだ」と言ってたのは…本当は「誰」だったんだろうな…。 

そして、やっぱり気になるのは、“暁”アジトにあった、写輪眼の保管庫です。

 あの大量の写輪眼、今はどうなってるんだろう…。
アジトの場所はアンコやカブトが知っているし、忍連合か大蛇丸が既に徹底的に調べ尽くしているとは思うのですが、あの眼は誰(どこ)が回収したのか、そしてどうなってるのか… 
 そもそも眼を集めていた人物は、何が目的だったんだろうか。 「マダラを名乗る仮面」があれだけシスイの眼を欲しがっていたのも、純粋にコレクションとして「別天神」の眼が欲しかった可能性もあり、各種能力を持つ写輪眼を集めて『全種コンプリート』を目的としていたのではないだろうか…とか、各眼からチャクラを抽出して「合成」したら…「全てを1つにして、元の姿に戻した全能な眼」になれるんだろうかとか… そういえば、五影会談で「マダラを名乗る仮面」はサスケにこだわる理由として「須佐能乎まで開眼する眼は稀(だからストックしておきたかった)」と言ってましたっけ。あくまで、これは推測の域を出ませんが…アレもコレも…と推測が暴走しちゃいそうです。 とりあえず暴走はここまでとして…

 パパと娘の久々の対面は、いきなり波乱含みになりそうで「感動の熱い再会場面」とはいきそうにありませんな…。 しかも「サスケパパ」は、サラダがイメージしてたパパとは違って、素直に感情を表現するタイプじゃあないから《ホントにあいそが悪く独りよがりで口が悪い》とサラダは思ってしまうかも。ナルトみたいなのがパパだと思ってると戸惑うんじゃないかな。父親にもいろんなタイプがいますからね…愛情の示し方も、人それぞれ。わかりやすい人も、分かりにくい人もいる。それにナルトだって、良き里の父であっても、ボルトには認めてもらってない… サラダも、「愛想の悪い」パパをどう思うだろう。
 
 それでも、「七代目とは違うタイプだけど、七代目に負けないぐらいカッコいい」パパっぷりをサラダに見せてあげて欲しいもんです。 サラダに「七代目もカッコいいけど、うちのパパのほうがもっとカッコいい」と言わせるぐらいに…(いずれは)…いつかは …



(さて、サラダとサスケがどんな「親子」のやり取りをするのでしょうか…楽しみ)。

 


☆シン達の(今回の)万華鏡は比較的シンプルな模様で「◉」に近い形でした。
柱間が仙人モードになった時の額や眼、そしてナルトのお腹に出現する印のような◉、そのようなシンプルな紋様の眼を私は勝手に『鷹の眼』と称しているのですが(過去記事、2010年サスケの眼は“鷹”の眼になれるのか … あの眼の《完成》をもくろんでいる存在があるのでしょうか…。

☆ちなみに余談として… ナルトの「仙人×尾獣モード」で目に出現する「十字模様」。 これはサスケの「呪印(仙術の印)模様」と同じ形です(サスケの額に十字が浮き上がる)。 ならば逆に、ナルトの仙術の印模様(お腹に浮かび上がる●)がサスケの目に浮き上がる時が、いつか来るのでは…なんて想像してたのですが…

☆ナルトの「つまり…どういう事だってばよ?」がなんだか懐かしかった… すっかり立派な火影になったけど、相変わらず「ナルトらしい」ところが残ってて、ホッとしたというか…

☆やたらと「本体」のナルトと「影分身」のナルト…という言い方が出てくるのも気になる。 「本体」ねぇ…

☆サスケ、ウエストあたりに「あの額あて」を引っかけてますね。ちゃんと…大切にしてるんだな…。




☆長駄文、読んでくださって感謝。




(ナルト好きブログ! 2015/05/25)



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