NARUTO 外伝 700+7 遺伝子の奴隷 その1
《一致しました》
「どうやら…君のママは…香燐に間違いないね」
って…いきなり「ラスト」から入っちゃいましたが、そのぐらい衝撃だった突然の宣告「サラダのママは香燐」。 「遺伝子解析での鑑定」でバッサリですからね…サラダの気持ちを想うと、何ともやるせないものがあります。 まさかの結果に大切なモノが全て破壊されてしまったような気持ちなんじゃないだろうか…。『ママは本当のママじゃなかった』事もショックだろうけど、それ以上に『ずっと騙されていた』事がショックだったんじゃないのかな…。
でも、もしかしたら「さらなる真実」もあるんじゃないか…なんて気もするのですがね…
で…どうやら「この事実」はナルトでさえ本当に知らなかったらしく、ナルトは「サスケのクソヤロー!!」と激怒し思わず水月に当たってしまうほどだった…(ナルトって水月のことを知っていたっけ‥?)。 しかし《遺伝子的にサラダの母は香燐》は確定だとしても、まだ「遺伝子的に父はサスケ」は確定していないので、今の段階で「サスケのクソ野郎決定」は尚早かとは思います(遺伝子的にサスケが父の可能性は今のところ高いだろうけれど)。
もし、ナルトや水月、サラダが想像している通りだとすると、サスケは《他の女に産ませた子供を妻に育てさせる》というね…それこそとんでもない《チャラスケを超えた最低ヤロー》って事になりますが、しかし物語の流れから判断するに、どうやら「そういう話じゃあない」ような気はいたします。 あくまで「今の段階での推測」ですが、これは「隠し子」とか「二股」とかそういうドロドロ昼ドラ系か芸能ネタのような話ではないと思うんですよね。
おそらくたぶん、もしかすると、思うにですが……話の流れから考えると、サラダは……
…「クローン」なんじゃないだろうか?
うちは一族(仮にサスケ)と、うずまき一族(香燐)の遺伝子を組み合わせて人工的につくられた《理想的で最強の複製(クローン)》の可能性はあるんじゃないかと思うんです。 もちろんその場合、「誰が何の為に作った」のか、どういういきさいつで「サスケとサクラ夫妻の元に託されたのか」そして「香燐は知っているのか」等色々と疑問は出てきてしまうのですが、ストーリーの中でこれだけ「クローン」について詳しく語られ、「クローン」についての議論が「研究者達と子を持つ親達」の間で交わされて、サラダ自身も《シン》という写輪眼を持つクローン少年に出会ったり…それは《サラダ自身もクローンである》という流れにあるんじゃないかと思えるのです。
《そして、それを特に感じさせた描写がこれ…》
《そして、それを特に感じさせた描写がこれ…》
冒頭のカラーページで、《複製(クローン)》を大量に作っていたというシンに、サクラが…「アンタ…自分の複製をこんなに… 大蛇丸じゃあるまいし、なんて奴なの!」と言った後、続けて「複製(クローン)だってね……」と言いかけているのです。 しかし、サクラが全部言い切る前にシンが「そうだ奴はオレの師だ」と遮ってしまい、サクラのセリフは途切れてしまう…。 だいたい、大事なセリフに限って『肝心な部分が途切れる』事が多いんですよね。
これも岸本先生の「読者の関心を無意識に惹きつける巧妙な手法」でして…あえて「途切れ状態」にする事で、読者の「知りたい願望」を引き出し、読者自身に「答え」を考えさせる。 《この後に続く言葉を考えよ》という読解問題みたいですが、そうする事で一方的な考えを押し付けるのではなく、まずは読者に考えさせて(問題提起)、あとで「答え(作者側の考え)」を示すというね…つまり、それだけ《途切れたセリフのあとに続く言葉は重要》なんだと思います。
ちょうど先々週(700+4話)の感想で、大蛇丸のセリフ(戦争編)にも2つほど『肝心な部分が途切れた会話』があるという例を出したばっかりなのですが(662話の「この敵…」という分析と、667話の「それとも…」という分析)、その後に続くはずの「答え」は未だに出されておりません。 それも読者に考える余裕を与え、気を引いてさらに引っ張る「途切れ」の手法…
今週のサクラのセリフの中には、他にもう1つ『肝心な部分が途切れた会話』があるのですが、それは後ほど取り上げるとして… まずは1つ目の「複製(クローン)だってね…」ですが…
サクラは、「複製(クローン)だってね……」のあと、何と言いたかったんだろう…?
例えば…クローンだって「感情があるのよ!」とか、クローンだって「生きているのよ!」とか…あるいはそういう感情が全て合わさったような言葉だったかもしれませんが、そこには彼女の《クローンに対する特別な想い、思い入れ、そして肯定》を感じるのです。
サクラがなぜ、複製(クローン)の事をよく分かっているのか…そしてなぜクローンの事を軽く扱われて「怒った」のか。そう考えると《サラダもクローンである》可能性もあるんじゃないかと思えるのです。
もし、万が一サラダが「何者かによって作られたクローン」だとすれば、これだけサスケとサクラが「サラダの出生」について(ナルトにすら)内緒にしていた理由も、木ノ葉の病院のどこにも「出生の記録」が残っていない事もわかるような気はするんですよね。
とはいえ「シン親子」と「サスケ親子」では、親子の繋がりのあり方は全く違う。この前もサスケは自分が盾になって子供を守ったけど、シンは子供を盾にして自分を守った…
そして、今週特に「対照的」と思ったのが(ジャンプ)263頁、チョウチョウがうす塩味ポテトを差し出している次の段「4コマの絵」。
(↓ざっと模写のみ、参考まで)
《シン(親)、シン(子)、サラダ、サスケ》4人の親子の表情が横並びになっているのですが…
サラダはママを想い心配し「肩を震わせ涙をこらえていて」…そしてサスケは「……」とサラダのほうを「心配そうに見ている」のです。サスケは例のダンマリで言葉こそ掛けていませんが、彼の目線の先には「サラダ」…そしてサスケは心配そうな眼差しでサラダを見る。
一方でシン(子)は既に息絶えており「その表情はすでに消えている」…なのにシン(親)は「悲しむ必要はない…」とあっさり語りながら「サクラの方を見ている」のです。横に寝ているはずの息絶えた我が子を「見ようともしない」… (そもそも自分には枕をあてているのに子は枕無しってのも気にくわん…)。
「形」こそ似ていても「繋がりかた」は全く異なる対照的な「父と子」2組。
「遺伝子」でしか繋がっていないのか、そこに「想い」があるのか… この絵を見ていると、その違いが「表情の差」になって表れているような気がするのです。
しかし、サラダ自身は…
大蛇丸から「クローン」について説明を受けながら、サラダは《シン親子》の顔を思い浮かべているのですが…なぜか、サラダが思い浮かべている《シン親子》の表情がとっても「穏やか」なんです(↓こんな感じの絵。本物でぜひご確認を)
特にシン(親)の顔なんて、穏やかな微笑みさえ浮かべた「優しそうなお父さん」そのものでして…とても「ママを連れ去った憎い敵」の顔じゃあないんです。 まるで、サラダがサスケに会う前に思い浮かべていた「理想の優しそうなお父さん」のような顔…
ママを連れ去った敵の事を《こんな優しそうな顔》にして思い浮かべるなんて…私にはちょっと「意外」でした。私だったらきっと、鬼のような形相の悪人面したシンを思い浮かべちゃうかも。
しかしシン達を「敵」という観点ではなく「親子」という観点で考えた時、サラダにとってあの2人はもはや「敵」ではなく「よその普通の親子」であり、彼等への憎しみや怒りも「止まる」んじゃないだろうか。 「ママを連れ去った行為」と「シン達の親子関係」はサラダにとって別問題…切り離して考えているのかもしれません。 だから…あんなにも穏やかな「シン親子」の表情を思い浮かべてるんじゃないだろうか…と思うんです。
それに、サラダは…何の感情も見えない「シン親子」の間にさえ「想いによる繋がりの存在」を感じ取っているのでしょうか。 先週700+6話でシン(子)が見せた「眼」には、確かに「想い」がありました(サクラを見上げた目)。 今は淡々と冷たく語るシン(親)にだって、もしかしたら「親としての想い」が在るのかもしれない。
今のところ我々の目には見えない「シン親子の想いによる繋がり」も、サラダの目には「見えている」のかもしれない… サラダが思い浮かべている《優しそうなシン父さんと穏やかな顔のシン》…もしかしたら、これがあの親子の「本当の姿」なのかも。
(そしてサクラも…)
いきなり「敵の懐」に連れ去られたサクラですが、そこでシン(親)と交わしている会話が、もはや「敵同士の会話」ではなくって、完全に「子を持つ親同士の会話」になっちゃっています(自力で手術するシンとそれを見ているサクラってのも不思議な絵ですが)。 意見は平行線だし、シンの考えには思想的なものも感じられますが、それでも基本は《親子関係について語る、子を持つ母ちゃんと子を持つ父ちゃんの会話》です。
もし、これで連れ去られたのが「サスケ」だったら、サスケはシンに「全て吐け!」とかいきなり「尋問」していたと思うし、こんな会話にはなっていなかったと思われます。 サクラだったからこそ…なんですよね、「子を持つ親同士の子育て論」になったのは。
そしてそこで交わされる《クローンについての論議》…
700+1話以降、ナルトやボルトのセリフに「本体と影分身」という言葉が時々出ていたのがずーっと気になっていたのですが、大蛇丸が「クローン」のことを「影分身の術のさらに上級」「2度と消えない影分身」という表現を使ったことで、やっと繋がった気がします。
実は…シン(親)が人形のようなシン達を侍らせている絵を見た時(700+5話)、シン(親)は「裏切らない忠実な道具(クローン兵)が欲しかっただけ」なのだと思い、そんな繋がりには何の意味も価値もないと…「クローンで作る親子関係を否定する話」に向かうのかと思っていたんです。 でも、どうやら作者の言いたい事は「逆」だったらしい…(汗)
クローンだって「生きている」…クローンだってそれぞれ「人格も意志も存在する」。
そして影分身のように気軽に作って、気軽に《ボフン》と消して「還元」できるようなモノでは無く、「消したいならころすしかない」(大蛇丸の弁)…つまりクローンだってちゃんと「命を持った大切な存在」なのだというメッセージが伝わってきます。 「消す」と「殺す」じゃ重さが全然違う。
そして先ほどのサクラ1つめの「途切れた会話」、「複製(クローン)だってね……」のあとに続く言葉も、例えば《ちゃんと感情がある》《生きている》《大切な命がある》とか…いずれにせよ「肯定」の言葉が続くと思われ、サクラが「クローンも肯定されるべき大切な存在」と考えている事がよく分かります。
それで思い出すのが、私のお気に入りでもある「603話のトビ(グルグル)のセリフ」…《ボクらは人造人間…ちゃんと感情がある!! うん○はしないけど》でして…アレはものすごく大切なセリフだと私は解釈しているのですが、トビや白ゼツ達だって「生きている」し、それに「ちゃんと感情もある」。血や臓器こそ持たないけど「ちゃんと独立した意志も感情もある柱間のクローン」だった。
だけど排泄をしない事で「生物的に人間ではない」と解釈され、彼らの「命」は粗末に扱われてきた…それこそ「殺す」ではなく「消す」程度に、です。 戦争中も、忍達は白ゼツを「始末」する事には躊躇や罪の意識は無かったんじゃないだろうか…?
《生きている》の定義はどこまで適用されるのでしょう…《生きている》という言葉は「母親の胎内から生まれた者だけが使える特権」ではないような気がする…サクラが『1つめの途切れた会話』で伝えたかったのも、そういう事なんじゃないだろうか…?
そして、もう1つのサクラの「途切れたセリフ」…
「主であるべきは遺伝子じゃなくて アンタの言う使い捨てられる肉の器の方でしょ! 想いも意志もそこに宿るんだから!」
「親子の間には遺伝子伝達だけじゃなくて もっと――…」
…で、ここでまたシンがセリフを挟んできて、サクラのセリフは途切れてしまうのです。 これが2つめのサクラの「途切れた会話」…《親子の間には遺伝子伝達だけじゃなくてもっと――…》…サクラは「何」と続けたかったんだろうか?
あくまで一例として挙げるなら…《もっと…大事なものがある、それは想いや信頼、愛情》…とかでしょうか。
この後サクラは「アンタは人…親にとって大事なものが何かまるで分かってない!」とも怒っているのですが、サクラの言うところの《親にとって大事なもの》…それが「もっと…」のあとに続く言葉とだいたい一致するんじゃないかと思います。
あえてセリフを途切れさせたのは、作者が読者一人一人に改めて親子の在り方を「考えて欲しかった」からではないか…と思います。 ホント、この「途切れ」の効果は抜群ですね…読者をそこで「立ち止まらせる」効果がある。
今週のサクラの途切れた会話2つ…《複製(クローン)だってね…》と《親子の間には遺伝子伝達だけじゃなくて もっと―――…》。 この2つに続く言葉は、サクラにとって「特別に大切な想い」、サクラの「母としての想い」があるに違いない。 そして「この2つのセリフ」こそ、サクラとサラダの親子関係を示すものでもあるんじゃないか…と思ったりするのです。
(ナルト好きブログ! 2015/06/15-その1)